平和の大切さを訴え、ライブで熱唱する佐々木祐滋さん(写真中央)
ロックバンド「GOD BREATH(ゴッドブレス)」でボーカルを務める佐々木祐滋さん(37)=千葉県浦安市=は、禎子さんを歌った曲「INORI」や「SADAKO」で、平和の大切さを訴えています。
2歳で被爆した禎子さんは、1955年に白血病で亡くなりました。折り鶴に回復の祈りを込めて、最後まであきらめず懸命に生き続けました。幼いころから、祖父母にその話を聞かされ育った祐滋さんは「禎子さんの生きざまを、音楽で伝えていきたい」と考えるようになりました。
全国を回ってライブハウスや平和イベントに出演しているほか、小中学校でのコンサートにも力を入れています。ステージでは禎子さんの話をして「たった一つしかない命を、大切に生きてほしい」と子どもたちに語りかけます。12歳で亡くなった叔母の思いを、受け継いだメッセージです。(高3・菅近隆)
ピアノ調律師の矢川光則さん(55)=広島市安佐南区=は被爆ピアノ3台を持っています。被爆60年の2005年から、全国を回り始め、北海道から沖縄まで16都道府県で180回以上のコンサートを開きました。
5月に広島市の西区民文化センターであったコンサートで使われたのは、爆心地から1.8キロ離れた民家で被爆したアップライト型。ピアノの歩みを描いた物語の朗読とともに、ピアニストの横山美和さん(23)が演奏を披露しました。横山さんは「被爆したとは思えない柔らかい味のある音」と言います。
ピアノの表面には無数のガラス片が刺さった跡が残っています。矢川さんは「ありのまま使うことに価値がある」と、以前の所有者から引き受けた後、ほぼ手を加えてないそうです。
演奏後には、会場で傷跡に触れてもらっています。「若い世代が、音と肌触りを通じて原爆とはどういうものか考えるきっかけになれば」と願うからです。(高3・菅近隆)
壊れたビルの地下室で命が生まれ、その赤ん坊を取り上げた「産婆」が死ぬ―。原爆の悲惨さと生きる希望を訴えた栗原さんの代表作を基にした合唱曲が5月、広島市中区の世界平和記念聖堂で披露されました。
生前の栗原さんと親交のあった作曲家中村雪武さん(63)=さいたま市=の作品です。「平和のツアー」で日本を訪れたイトロのために書き下ろした十分を超える大作です。重苦しさの後には、透き通った声で希望を歌い上げました。
イトロは今後も世界各地で演奏する予定です。
「透明感がある、とても美しい音が出たんです。大きな苦難を乗り越えた生命力を感じました」。2000年に被爆樹木の幹を譲り受けて、8本のコカリナを制作した時を振り返ります。
材料のエノキは、被爆当時は陸軍病院(現在の中区基町)の庭に立っていました。原爆の熱で焼け焦げながら、1984年に台風で倒れるまで原爆の「証人」として立ち続けていました。
被爆樹コカリナで奏でたオリジナル曲が「空」です。天に向かって伸びていた、被爆エノキの力強さをイメージしたメロディーが響き渡ります。
広島県内の琴、尺八奏者らでつくる広島邦楽連盟は国内外での演奏会を通じて平和を訴えています。2005年にはスイス・ジュネーブの国連欧州本部で、1995年には米ニューヨークの国連本部で演奏しました。
福盛智子会長が自ら働き掛け、実現にこぎつけたのです。
合唱隊は1960年に結成され、広島市や近郊の小学生から大学生の男子42人が所属しています。定期演奏会や8月6日の平和記念式典、海外演奏旅行などで歌声を響かせています。
「花を贈ろう」など、レパートリーには平和をテーマにした曲が数多くあります。合唱を通じて、被爆地広島の心を伝えています。隊員の一人、広島大付属東雲小5年の大瀬戸智利君(10)=広島市西区=は「平和を願う気持ちで、詞の意味を考えながら歌っています」と話します。