中国新聞

  どうろうの記憶 ぐるっと広島瀬戸めぐり
石どうろうの記憶

 広島京橋川かるときわのたもとに、どうろうがんでいます。このつのとうろうは、いまのえられる常夜灯でした。とうろうは、すっかりをとって、おじいさんとおばあさんになっていました。とうろうの足元はシロツメクサが満開です。どこからかクチナシのりもしてきます。

 「おじいさん、すっかりですねえ」。

 おのおばあさんは、おじいさんにしかけました。

 「ああ、二葉山もこくなったのお」。

 おじいさんは、こうの見上げました。はすっかりひいて、川底黒々たわっています。コサギやアオサギがりて、浅瀬をねらっています。そのときでした。

 「まあ、ここにっとったんじゃね」。

 白髪のおばあさんが、かしそうにどうろうに近寄ってきました。とうろうのおじいさんとおばあさんは、見合わせました。

 「まちがいないわ、このとうろうじゃった」。

 近寄ってきたおばあさんは、どうろうをめて、でなでました。とうろうのおじいさんは、丸顔のおばあさんをつめて、

 「あっ」

 とをあげました。見覚えがありました。

 「六十年前広島かれたときの女学生さんじゃねえ」。

 とうろうのおばあさんがささやきました。

 「そうじゃ、女学生のおさんが、わしらの足元りんさった」

 「そうそう、女学生さんは健気に、あそこの岸辺で、うなったおさんをきんさって、一晩中、ここできとられた」

 あれから六十年、あの女学生さんがどのようにらされたかは、どうろうのおじいさんたちはるよしもありません。しばらくすると、女学生だったおばあさんは、さげから、お弁当していいました。

 「とうろうさん、ここで、お弁当さしてもろうてええですかいのう」。

 げたお弁当には、おむすびがつと煮付けがはいっていました。おばあさんは、おいしそうにめました。

 「広島もすっかりわってしもうて。は、白島電車終点は、ここをったじゃったのに」。

 まるで、おさんにしかけるようにりながら、かしています。

 それから毎月一回女学生のおばあさんは、どうろうをめにては、お弁当べてります。どうろうの二人は、きょうも、おばあさんがるのをっています。

まえのページへ
ひょうしへ
つぎのページへ