夜の広島市平和記念公園です。草木も鳥も寝静まっている真夜中に、ひとり起きているものがいます。公園中央の慰霊碑の後ろにある「平和の灯」です。
灯火は、とろりとろりと、大きくなるでも小さくなるでもなく燃えていました。
「わしは、もう千二百年もともっとるんじゃ。そろそろひと休みしたいんじゃがのう」。
灯火は、眠りかけた慰霊碑にはなしかけました。
「そうはいうても、あんたは、世界から戦火が消えるまでともし続けるいう約束で、宮島さんの弥山からここに連れて来られたんでひょうが」
目を覚ました慰霊碑がこたえました。慰霊碑も、五十余年もたつと広島弁がうまくなりました。おまいりにくるお年よりは、みんなここにきて、広島弁で語りかけてくれますから、いつのまにか身についてしまいました。
「同じともすんなら、お弥山でともりたいわ」
確かにここの平和の灯は、西の繁華街だった五つの街並みが原子爆弾が落とされて壊滅して、街の真ん中に平和公園ができたとき、千年余り燃えつづけてきた宮島さんのお弥山の消えずの火から、点火されたものでした。八〇六年、弘法大師が宮島の頂上にある弥山本堂で修行して以来、その火は守られてきた、ありがたい火です。
「いまも燃え続いとるいうことは、まだこの地球上には平穏な日々が訪れとらんということじゃのう」。
灯火は、ため息をつきました。
毎年の八月六日、広島市長は、世界に向かって平和宣言をしています。「平和の灯」として、世界から見つめられてきた灯火は、せいいっぱい灯火を燃やして、とくに八月六日は、原爆で亡くなった人のために、炎を高く燃やしました。でもいつまで燃えつづければいいのでしょう。
弥山の火は、人類永遠の火ですから、燃えつづける意味があるのですが、ここの灯火は、早く消えた方が、人類がしあわせになる火なのです。
「おまえさんの火が、ほんものの平和の火になって、永遠に燃え続けるときが、きっと来るよ、この地下に眠っとる御霊や、ここに来ようにも来れない、あの日、昇天した人たちの御霊のためにもなあ」
慰霊碑に慰められて、灯火はうなずいて炎を少しだけかきたてました。
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