角谷勝己(鯉城学院学院長) 「私はわが子に纏足(てんそく)をしているのではないでしょうか」。この言葉を聞いたとき、親業とはいかに悩み多きものであるかをあらためて実感させられた。 纏足とは、幼児期から足を布で縛り、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習である。無理やり指を内側に曲げて縛り、歩行の自由を奪うこの奇習は、強制・拘束・制限の象徴と言ってよい。 「わが子に良かれと思ってやっていることも、実は纏足をするように無理を強い、苦痛を与えるだけの独り善がりな愛情なのではないか」。そう思い悩むおかあさんの心の中は痛いほどわかる。 中学を受験させることが正しい選択であったのかどうか、途中何度も自問する親は少なくない。友達が元気に遊んでいるのを横目に見ながら塾へ行かせるとき、見たいテレビやしたいゲームを我慢させて机に向かわせているとき、成績が低迷して頭にきてひどく怒ってしまったとき、親は自分の選択に自信が持てなくなるようだ。 だけど心配ご無用。子どもはこの程度の選択でどうこうなってしまうほどヤワな生き物じゃない。挑戦や試練は子どもが成長していくために必要不可欠な要素。つまずいたり、ぶつかったり、すっころんだりして、痛い目に遭いながら、また立ち向かっていくことを繰り返すことで強くなっていく。勉強だけが特別なのではない。スポーツも音楽も芸術も本気でやれば、好きだけじゃあやっていられない。つらいことは山ほどある。 親の役目は闘う彼らをほったらかしにせず、見守って、いざというときに支えてやること、それさえしっかりしていればOKだと思う。 ただ、この選択の可否が合格と不合格という結果でのみはかられると考えるのなら、子どもにとってつらいばかり、苦しいだけの纏足になる可能性はある。纏足にするか、しないか―、要は親の考え方ひとつなのかもしれない。(鯉城学院学院長) (2009.6.29)
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