角谷勝己(鯉城学院院長) 先日行った面談の席でN君のお母さんは憤懣(ふんまん)やるかたないといった表情でこう切り出した。「ウチの子は全然やる気がないのでもうあきらめました」。唐突にあきらめたと言われても対処のしようがないので事情を聴いてみた。 「勉強の取りかかりがとにかく遅い。学校から帰宅してもダラダラ。さっさと勉強をしなさいと言えばふてくされる。いざ勉強を始めてもてきぱきやらない」。こんなふがいないわが子と中学受験を戦うのは疲れたからもうやめたいということらしい。 入試まで「あと三カ月」、実はN君のお母さんのようなケースは珍しくない。幸いこれまで本当に受験をやめた人はいないので、不満を吐き出し、それなりの処方せんを手に入れれば徐々に落ち着いてくるものなのだろう。 さてN君は本当にやる気がないのか。もちろん答えはノー。見せ方や程度には個人差はあるが、この時期の受験生なら皆やる気は持っている。だが、やる気があることとよい結果が出ることは決して同義ではない。ここには「あと三カ月」になって、いまだ自分を安心させる結果を出してくれないわが子への不満が背景にある。 だからせめてよい結果に結びつくと確信できるわが子の「変身」を期待するようになるのだが、親が求める理想の受験生のレベルはとてつもなく高い。理想と現実は反意語。現実のわが子が理想像とかけはなれるのはある意味当然のことである。にもかかわらず、求めすぎた自分を反省するのではなく、無理をしてでもわが子を理想に近づけようとするのが親という生きものの悲しい性(さが)である。 相手はしょせん子どもである。親が求める理想を体現できる子はそうそういない。理想は脇に置いて、現実路線に視線を合わせてみるといい。どうしてどうしてわが子も捨てたもんじゃないということがわかる。「コイツも頑張ってるじゃないか」と気づけば「あと三カ月」は劇的に変わる。子が変わるためにはまず親が変わることだ。 (2008.11.3)
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