中国新聞


子どもの「時計」 成長見守り支える親に
角谷勝己(鯉城学院院長)


 新高校一年生対象の説明会を開いた。三年後の大学入試で笑うために高校三年間をどう過ごすかについて助言する会である。

 土曜日でもあり、参加者は保護者中心で生徒は少なかったが、一人の男子生徒が必死にメモを取りながら聞き入っていた。妙に心に残り、母親に話をうかがうと、こんな言葉をいただいた。「ここでやっと自分の姿が見えたんでしょうね。この子にはこの子の『時計』があるんですよ」

 親はわが子のために、明るい将来に続く一本道を懸命に探す。どんな習い事をさせるか、小学校受験をするか、中高一貫校へ入れるべきか、と必死に考える。無論この段階では子どもに選択権はなく、たとえあったとしても選ぶだけの判断力はまだない。それだけ余計に、親は自分の選択がわが子の将来を決めるかもしれないという強迫観念にも似た感情にとらわれる。

 とはいえ、わが子にベスト、もしくはベターな環境を与えてやりたいという親の素直な気持ちとして理解できる。だが、子どもが親の思い通りになってくれることだけを願い、そうならなければもうおしまいというのでは問題である。親自身の都合に合わせて子どもが育つわけがない。

 子どもは一人一人違う進み方をする「時計」を持っていて、成長する過程と伸びる時機は個々に異なる。これは個体差というだけでなく環境的要因にも左右されるので、わが子がいつどこで気づきを得て成長していくのかは予見できるはずもない。

 だからこそ親はわが子を見守り、支えながらも、やがて来る「その時」を待つべきではないだろうか。なのに、自分の描いた絵図通り、自分の「時計」に合わせて育てようとする親は少なくない。

 くだんの母親のようにどっしりと構えてわが子の時計の針が進むのをそばで見守ってやることは、言うほど簡単なことではない。せめて親が子どもの「時計」を意識するだけでも子どもの何かが変わる気がする。

(2009.2.23)

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