角谷勝己(鯉城学院学院長) 小学生にサッカーを教えている友人が、どうして息子を試合に出してくれないのかと母親に詰め寄られたという。プロならいざ知らず、子どものスポーツであれば巧拙のみならず、教育的配慮があってしかるべきだ、というのが母親の言い分。 友人いわく、その子はお世辞にもうまくはない。なのに、地道な練習が嫌いで手を抜いてばかりいる。この先大きく成長させるためにも、まずは今できる努力を積み重ねる大切さを教えるべきだと母親に説いたが、納得してもらえないまま結局辞めていったという。 塾でも似たようなことがある。クラスが複数できれば習熟度別に分ける塾は多い。もちろんクラスは固定ではなく定期的に入れ替える。ウチの塾はクラス分けの基準は成績主体だが、それだけではない。やる気や努力の程度を加味して「総合的判断」でクラスを決める。だから、ボーダー上では現状維持の場合もあれば、あえて上下させることもある。 クラスを下げたいと提案すると、子どものモチベーションが落ちるので考慮してほしいと言われることは少なくない。ここではまだ応相談状態。「建設的話し合い」で子どもにとっての最善を考える。くやしさの中で自分を見つめ直させるか、現状のまま改善させるかを、子どもと家庭と塾の三者で考える。ここに教育のひとつのカタチがあるのではないか。 ところが、最終的にクラスが下がるとあっさり辞めてしまう人がいる。おそらく子どもではなく、親がこの事実に耐えられないのだろう。クラスが下がる=不合格という恐怖心にとらわれてしまうのかもしれない。あるいは、あれだけ頼んでもクラスを下げた塾に対する怒りが治まらないのかもしれない。どちらにせよ、親が自分の感情をコントロールできなければ子どもを教育することは難しい。 短気は損気。損をするのは親だけではない。子どもも損をするということを忘れずにいたい。 (2009.4.27)
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