中国新聞

  セッコクひめのものがたり(2) ぐるっと広島瀬戸めぐり
セッコクひめのものがたり(2)

 蒲刈島大浦では、らえた石牢からげたことがわかって、大騒ぎになりました。

 「だれか、手引きをしたがいるにいない」。

 領主とそのは、ってうわさをしました。から報告いた領主は、ざめました。あの、セッコクひめが、石牢りをいていたのをたものがいる、というのです。

 「じません」。

 されて、セッコクひめはりましたが、ひめの部屋から、漁師野良着つかりました。

 「かぬ証拠じゃ」。

 といえども、のおきてをれば、処罰しないわけにはいきません。

 「どんなでもうけますから、どうぞ、隣村とはよくしてください」。

 漁師の健さんがらえられてれてこられたとき、健さんを一目見たセッコクひめは、健さんがではないと直感しました。隣村よくなれば、宮盛にあるというお大楠けます。大潮のときは、荷島にもいてれます。

 つづきなのに、いまは、近寄ることもできません。

 「こどもが口出しすることではない」。

 忠告された父親りました。

 「追放じゃ」。

セッコクひめは、村境われました。七国見山までれてかれると、ひめはりにされました。

 対岸野呂山からやってきた山犬がうろうろしているでした。セッコクひめは、るいうちにようとかってりました。をぬけると、見知らぬ風景けました。そこは、漁師の健さんがいるでした。さなつ、夫婦のようにかんでいます。

 セッコクひめが、浜辺途方にくれていると、ようとした健さんがりかかりました。ひめからいた健さんは

 「りな」。

 ふたりがったは、それきりにはもどってきませんでした。それからです。大浦物見岩りには、毎年五月になると、セッコクのくようになりました。村人は、ひめの「さとし」じゃと、隣村とのいはなくなりました。

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