中国新聞

  セッコクひめのものがたり(1) ぐるっと広島瀬戸めぐり
セッコクひめのものがたり(1)

 いまはむかし。上蒲刈島七国見山のふもと、大浦に、領主、セッコクひめがんでいました。セッコクというのは、野生ランの中国風です。高嶺清楚のようにってほしいとってづけられました。

 セッコクひめは、そののように、気立てのやさしいち、そのしさは、じゅうの評判になりました。七国見山峠北側にもうつのがありました。若者健さんは、宮盛漁師でした。セッコクひめのうわさは、健さんにもきました。

「そんなにしいなら、一目ってみたいものじゃのう」。

 そうはいっても、えてまでいにったなどとうわさになったら、ものいになります。

 ある午後のことでした。漁師の健さんは、西側の、下蒲刈島とのにある三ノ瀬から、でぐるっとって斎灘かいました。黒鼻にさしかかったときです。突然そうものはしけがづいてくると、健さんのまれて、そのままごとらえられてしまいました。

 大浦から領主につれていかれた健さんは、

 「のようすをりにきたのじゃろう」

 とあやしまれました。そのころ、隣村とは、村境のことや、漁場のことで村同士小競いがたえませんでした。した石牢められた健さんは、るあてもなく、何日かをごしました。ある、のことです。漁師らしいひとりのが、って石牢のカギをけると、健さんにるように合図しました。

「こっち」。

 はすたすたと山沿いにいていくと、やがて山道さして、

 「近道です」。

 そういうと、もといでもどっていきました。もそこそこに、健さんは、山道ぎました。

 にたどりつけば、もう大丈夫です。大浦つかることもなく、健さんは宮盛へもどりました。健さんのでは、ゆくえれずになった健さんをして、来島までもしたところでした。健さんからいた宮盛たちは、

 「どこのじゃろうのう」

 とけてくれたのことをうわさしあいました。健さんも

 「お一言もいいたいものじゃ」。

 りんとしたしては物思いにふけっています。

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