中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.5.23

 9. 買物は楽しい



 「稼ぐ意味」実感 心潤う

 結婚していた時、買い物は好きではなかった。欲しい物は事前に考え、一直線にそれだけを買って帰ってきていた。

 妻と一緒に行けば、夕食の準備のはずが子供服、婦人服を経て、紳士服売り場までたどり着く。「どれがいい」と聞かれるころには「どうでもいい」の心境になっていた。

 付き合わされる買い物は苦痛で、できるだけ避けていたし、たまに行っても一人で本屋や酒コーナーに逃げていた。

イラスト・丸岡 輝之

 しかし父子家庭になり二、三年もたつと、買い物は苦痛どころか、ストレス解消になった。目的の物以外を見て歩くことも楽しい。それ以上に、一日のすべてのことを自分で選び、決定できる生活の魅力に気付いてきたからだ。

 気に入った食材で、気に入った味付けをして、酒のさかなを作る(ビールを飲んでも小言を言われず)。好きな色の、好きなシャツやネクタイを買って着る。それがどんなに楽しいことか。

 衣食を妻から一方的に与えられる生活は、一見楽であり、それが夫の「権利」だとも思っていた。とんでもない思い違いだった。以前の私は、生きてはいたが「生活」はしていなかった。

 生活者としては、食以外にシーツやカーテンも替えたいし、子供服の流行も知っておきたい。食卓を演出するための小物もそろえてみたい…。今の私は、かつての妻と同じように長い買い物をして子どもたちから嫌がられている。

 買い物をして「稼ぐ意味」も見えてきた。

 得たお金で、長男には前から欲しがっていた昆虫図鑑を、娘にはお気に入りのアニメキャラクターのソックスを買って帰る。食事の後、子どもたちは待ちきれないように袋を開き、満面の笑顔で「お父さん、ありがとう」。そんな時に「この笑顔のために働いたのだ」と実感する。

 以前なら、妻に仕事がいかにしんどいかと稼ぐつらさばかりを愚痴り、それがけんかの原因にもなっていた。私は、収入を得るという経済活動の一面しか知らず、稼いだ金を思うように支出することで心豊かになる、というもう一面の意味を見失っていた。

 収入と支出の両面を経験してみて、自分が生きる社会がまるごと見えてきたように思う。やっと一人前の「社会人」になれたのかもしれない。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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