中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.5.30

 10. 優しい言葉



 子も驚いたミスマッチ

 父子家庭になったばかりのころ、離婚で結果的に母親を奪ったのだから、自分がその代わりをしなければ、との責任を強く感じていた。

 だが映画「ミセス・ダウト」の主人公のように、急に母親役の演技はできない。今しかったばかりなのに、次にはしっかり抱きしめたり、子どもの目線で小首を傾けて「どうして泣いてるのかな」などと声かけはできない。「いつまでもグズグズ泣くな」と大声を出してしまう。

イラスト・丸岡 輝之

 「ご飯よ、いらっしゃい」は「ご飯じゃぁ、めし食うぞ」だし、「おふろに入りなさい」は「ふろに入れ」。子どもの「行ってきまーす」や「ただいま」の返事は「おう」である。

 乱暴な言葉の裏側で実は、新一年生の長男が、大き過ぎるランドセルに揺られながら出て行く時、呼び止めてもう一度顔を見たい衝動に駆られていた。危なっかしそうで、無事に帰ってきてくれるか不安に陥ってしまうのだ。

 近所の母親は、優しげに「忘れ物ないの」とか「車に気をつけるのよ」と声をかけて見送っている。うらやましさと後ろめたさを感じていた。

 そこである日、優しい口調で「ハンカチ持った? ティッシュは? 行ってらっしゃい」と見送ってみた。しかし期待に反して、映画のシーンのように長男は笑顔で手を振ってはくれない。不思議そうに幾度も振り返り、登校していった。

 下校時には家にいて「お帰り、学校どうだった」と迎えてみた。ところが長男は「気持ち悪いからやめてくれ」。親の心子知らず、と思いつつ「だったらどう言えば」と問うと「いつものように『おう』でいい」。

 ほっとした。無理な母親役を期待されず、そのままの自分が受け入れられたからである。長男が小二の時だ。以来、返事は「おう」を通している。

 ただ先日は驚いた。わが家では三人がそろって夕食にするが、なかなか来ない長男に、娘が「めし食うぞ」と叫んだのである。「女らしさ」を教えられなかったか…。

 いや心配はすまい。赤ちゃんをかわいがり、祖父母を気遣い、遅くまでPTAや子ども会の資料を作っている私に「早う寝んさい」と声をかけてくれる優しさが、娘にはある。

 「言葉遣い」や「見た目」「父子家庭だから」という外側からだけで見られたくないと思う。私も、娘も。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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