中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.6.6

 11. わが家流 母の日



 生き方伝える「命の日」

 母の日。一鉢のカーネーションとショートケーキを買って、食卓を囲んだ。

 以前は、母の日の話題に触れられなかった。しかし子育てに感動する余裕が生まれ、妻が子を残してくれたことに感謝できるようになったころから「母の日」を「命の日」と意味付けて話せるようになった。

 「お母さんが炊事や洗濯をしてくれるからではなく、自分たちの命をはぐくんでくれたから感謝する日なのだ」と。

イラスト・丸岡 輝之

 毎年で聞き飽きたのか、ケーキに一生懸命だったのか、子どもは黙々とフォークを使っていたけれど。

 「命」といえば長男から私に宿題が出ている。

 小五の時、茶わんと湯飲み、はしはめいめいが洗うという決まりを守らない長男をとがめた。「どうせ明日の朝は汚れるのに、何で洗わんといけんのか」と反論する長男を、つい「じゃあ、おまえは絶対に死ぬのに、何で生まれてきたんか」と理屈でねじ伏せた。

 翌日の夕食時、今度は長男が「人間はいつかは死ぬのに、どうして生まれてきたんか。僕はなんで生まれてきたんか」と問うてきた。「それが人間の一番大きな疑問と悩みで、哲学や宗教が答えを探し続けてきた。お父さんもおまえも考えながら生きるしかない」とかわしたが、納得させる答えができず、恥ずかしく思った。

 長男はさらに、カゲロウやセミが繁殖したらすぐ死ぬことを引き合いに出した。しかし「じゃあ、おまえたちを生んだから、親はもう生きていなくてもいいのかな」との問いには答えられず、それ以後二人の宿題となっている。

 少し分かりかけてきたことは「親は命と価値観のバトンランナー」であり、私は、父母や祖父母から受け継いだものを子に伝えるために生きているということである。人類共通の文化は学校で教えるが、人としての生き方や価値観・人生観は個々の家庭で伝えていくのだということだ。

 だから私はことあるごとに、自分がどのように生きてきたかを話していこうと思っている。離婚によって、レールに乗ったような人生から外れたけれど、自分でものを考えるようになった、そんな自分の生き方を。

 父子家庭の先輩から「子どもと一緒に生活するのは義務であり権利なんよ」と教えられた。長男からの宿題を考えていると、私は「子どもに人生観を伝える権利」を手にしているのかと思う。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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