中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.3.7

 5. 年に一度のチョコ



 我慢して知る 食べる喜び

 子ども会の行事で配られた菓子袋の中のチョコレートも、海外旅行のお土産にもらった箱詰めチョコも、誕生日やクリスマスのデコレーションケーキに載った飾りチョコも、わが家ではすぐに冷蔵庫行きとなる。

イラスト・丸岡 輝之

 冷凍保存されたチョコが解禁されるのは、元日のお雑煮の後だ。年に一度の待ちに待った瞬間。子どもたちは、チョコとお菓子の山を前に「ほんとに食べてもええ?」と何度も問う。まさに、一年ぶり感動の対面なのだ。

 この時の子どもたちのニコニコ顔がとても好きだ。心の底から喜びが込み上げ、目はキラキラと輝いている。

 給食のデザートを残す子が多い、と小学校の先生から聞いた。八年前のことだ。

 人は、食からの刺激によって最も原初的な感情を形作られるという。味覚刺激による喜びの感動が無くなれば、それに続く他人の喜びを大切にする思いやりの感情なども育たないのではないだろうか。

 私の世代が二、三カ月に一度、給食にチョコバターが出る日をどんな喜びで迎えたことか。あの感動を子どもに味わってほしい。これがわが家でチョコが年に一度になった理由である。

 豊かでない時代、親の役割は子どもに食物をはじめ物質的な充足を与えることであったろう。しかし今は、子どもも簡単に欲しい物が入手できるようになり、意図的に我慢をさせなければ感動に出会えなくなってしまっている。

 親の役割は、ほしいものを「与える」から、逆に子どもにとって「できるだけ手に入りにくくする」に変わってきているのではないだろうか。

 チョコを前にした子どもたちは、最初のうちは必死になって食べている。でも血糖値が上昇するにつれだんだんスピードが落ちてくる。「どうした。遠慮せずにもっと食べろ」と促しても「もう、いらなぁーい」。

 そこで私が言う。「な、幸せもいっぱいあり過ぎると苦痛になるだろ」。この言葉が、チョコレートデーの閉会宣言となる。

 幸せは移ろいやすくはかないもの。そして、幸せの本質は物でなく自分の心にあることを感じてほしい。幸せは外から与えられるものではなく、自分の内につくり出すことなのだと理解してほしい。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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