中国新聞

 天野 和昭   
 

2001.3.13

 36. 親の気持ち



 育児通して初めて分かる

 保育園でスケーターをとられて泣いていた長男が、迎えに来た私 の姿を見ると、何もなかったような顔になった。その晩にいくら問 い詰めても「話さない」と頑張る。大人がたじろぐような自尊心を 見せた子どもたち。

 あるいはちょっとした一言に傷ついたり、喜んだり。感情を抑え て明るく振る舞ったり。

 子どもたちとの一シーン一シーンを振り返ると、自分が子どもだ ったころもそうだったのか、と欠落した記憶を再現されているよう な気がする。

イラスト・丸岡 輝之

 同時に、私の父親もまた、私を育てながらいろいろなことを考え たのだろうか、と思う。

 その父は、私が離婚した時「子どもは手放せ」と言って聞かなか った。子どもは母親がみた方がよい、私たちは老いて面倒が見られ ない…などさまざまに理由をあげて。

 「自分で育てる。どうして孫にそんなに冷たいのか」と言い返し ても、声を震わせて「手放せ、手放せ」。平行線の末に車で帰ろう とする私をなおも追ってきた父は、窓の縁に手をかけ、涙をぽろぽ ろこぼしながら「頼むけえ、手放してくれ」とまで言った。

 「なぜそこまで」と問うと「おまえが再婚できんじゃろう」と一 言。予想もしない答えに一瞬涙がこぼれそうになった。

 三十八年目にして初めて見た泣きじゃくる父。親はこんなにも子 のことを心配するのかと知った。

 「自分を思ってくれるのはうれしい。でも同じように私も自分の 子がかわいい。手放さない」と私。「勝手にせえ。その代わり子ど ものことで絶対頼ってくるな」と言い捨て背を向けた父。

 私は帰る場所がなくなったと覚悟した。子どもが病気になった り、自分が寝込む姿が脳裏をかすめ不安になったが、これからは全 部自分が引き受けるのだと腹を決めた。

 結果として、父への返事は、私の自立宣言だったのだ。

 私は親に頼らなかった。子どもが小学校の高学年になると、さす がに父も「泊まりに来させや」と言うようになり、次第に修復はし たが…。その父が昨年ポツリと言った。「お前、ようやったよの う」。やっと父は私のしてきたことを認めてくれたのかと思った。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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