2001.3.6
「分かったつもり」崩れる
いつも一緒にいるのだから、子どものことはすべて分かっていると、自信があった。ところがその自信が揺らいでいる。数年前の「事件」を、最近になって子どもから聞いたからである。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
そのころ住んでいた古いアパートには、夜になると時々ネズミが天井裏を動く。子どもたちに絵本を読んでいたりする時にカサコソ、カサコソ。子どもは怖がってしがみついてくる。
私は剣道の竹刀を持ち込んで、トンと天井を突く。そうすると音はしなくなるが、子どもたちはやっぱり怖くて、私の布団に寄り添って寝たものだ。
子どもがふとした拍子に持ち出してきたのは、そのころの話である。
―私が留守の夜、子どもたちはネズミの足音に起こされた。布団に潜り込み、音がやむのを待った。しかし収まるどころか、ガサゴソといつもより大胆に走り回る。
たまらず小四の長男が、私がやるように竹刀を持ち出し天井を突こうとした。しかし背が低いので思うように届かない。とうとう泣き出し、妹も一緒に泣きながら兄にしがみついていた―という。
なぜこれまで話さなかったのか聞くと「今、思い出したから」との答えだった。子どもはすべてを話してくれていたのではなかったのだ。私は不安になった。
それまで他人から「子どもさんはお母さんを恋しがりませんか」と聞かれた際、そんなことはないと答えていた。実際に子どもが母を恋しがったふうもなかったし、母の話をすることを禁じていたわけでもなかったからである。でももしかして知らないことがあったのではないか…。
あらためて母親にかかわる話を子どもに聞いてみた。「実は」という話は出てこなかった。しかし何か気にかかる。
離婚を後悔してはいないし、今までの生活を否定する気もない。でも私の知らない子どもの一面を後になって知ったりすると、もしパートナーがいれば確かめられるだろうにとも思う。一人親ではそれができない。
だが一人親だけがそうなのではなく、夫が子育てに加わらない母親もまた同じなのだろう。これでいいのかと自問しつつ、子どもの姿を見て、声を聞き、自分で判断するしかあるまい。
(一人親家庭サポーター=広島市)