2001.2.27
お節介…大切な人だから
離婚以来、だれにも構われず、精神的には独身のような自由な生活をしてきた。それが危うくなってきた。
PTAの集まりに出る用意をしていると、背後から「どこまで行くの。何時に帰るの」。最近の娘の口癖だ。
妻には「男が一歩外に出たらいつ帰れるか分からん」などと偉そうに言っていたが、娘には素直に用向きと場所を答え「遅うならんように帰る」と言い添える。
しかし「九時? それとも十時ごろ?」と問い詰められ、言質を取られた上に「ほんまに早う帰ってよ」で送り出される。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
登校前には、玄関から「お父さん、仕事は何時から? 遅れたらいけんよ」と促され、夜なべをしていると途中で起きて来て「まだ起きとるん。早う寝んさい」と声を掛けられる。
生まれた時から食が細く、保育園の誕生カードの「親のことば」には毎回「ご飯をたくさん食べて下さい」と書いた子だった。それがここまで、と感慨があると同時に、その振る舞いが妻に重なる。
妻といたころ、私は生徒の前でしゃべる仕事をしていた。せめて夜は一人の時間を持ちたかった。だれにも邪魔されず、推理小説やミステリービデオを楽しみたいと思っていた。持ち帰った仕事も夜だからはかどった。
しかし、妻は二人でいることを望んだ。食事も、テレビを見るのも、寝るのも一緒に。私は「もう構わないでくれ」と叫びたかった。過干渉にしか映らず、けんかの原因になった。
「先に寝るけど、お父さんの布団も敷いとくから」と娘。夜半過ぎに寝床に行くと、掛け布団の上にもう一枚小さな掛け布団が掛けてある。保育園時代のベビー布団。押し入れから引っ張り出したのだろう。
気配で目覚めた娘が「寒いけど、お父さんのはそれしかなかったけん、ごめん」と、また寝息をたて始めた。娘の気持ちが温かかった。
構われることは、お節介(せっかい)をされることは、うるさいようで実は、寄り添う人の幸せを守る泡だったのかもしれない。コップに満たされた幸せというビールについているもの。その泡を煩わしく感じた時、幸福はその鮮度や味を失ってしまうのだろうか。
成長した娘から、お節介の温かさを知り、妻の心も推し量った。
(一人親家庭サポーター=広島市)