中国新聞

 天野 和昭   
 

2001.2.6

 33. なぜ野球部?



 キャッチボールに思い出

 私は父からスポーツを教わったことはなかった。親子でスポーツをするような時代でもなかった。だから自分が親になったら、子どもにいろいろなスポーツをさせ、たくさんの選択肢の中から得意なものを見つけさせてやろうと思っていた。

 妻がいたころは、幼い長男をスキーに連れて行った。父子家庭になってからは、仕事が早く終わった日などスポーツセンターのプールで三人で泳いだ(私の肥満解消とふろ代わりのシャワーも兼ねて)。

 休日には、おにぎりを持って近くの山に登った。リュックに荷物を入れるコツや歩き方を教えながら。河川敷でインラインスケートを教え、スケート場で一日過ごすことも多かった。

イラスト・丸岡 輝之

 長男には、アイスホッケーかラグビーをやってほしかった。男のスポーツに見えたからである。中学校のクラブでは、まず基本の陸上をやらせ、その先にアイスホッケーやラグビーをと勝手に思い描いた。

 ところが、長男は、野球をやりたいと言い出した。私は、ユニホームやバットにグラブと高くつくから、あきらめさせようとした。長男は悩みつつも、陸上部に気持ちが傾き始めたように見えた。

 しかし入部届を出す前日、夕飯の支度をする私の後ろに「お話があります」とやってきた。居住まいを正して、いつもと違う雰囲気だ。

 「やっぱり野球をやりたい気持ちを変えられません。お金がかかるかもしれないけど、野球部に入らせてください。お願いします」。神妙に頭を下げた。

 こんなふうにものが言えるまでに成長したか、とうれしかったと同時に、そこまでこだわるのが不思議だった。私が野球好きだったわけでもなく、友達と野球をして遊んだとも聞いていない。

 思い当たるのは、家の前の道路で時々していたキャッチボールぐらいだった。「ふろが沸くまでちょっとするか」と誘ったり、「ご飯が炊けるまでしよう」と誘われて「よし、暗くなったらやめるぞ」と応じたり。それでもたかだか週に一回。

 でも長男が野球を選んだ理由は、どうも私と過ごしたその時間にあったのではないか。そう思い当たった時、言いようもない親としての喜びと責任を感じた。その短い時間は長男にとって、私と二人で向き合った大切な思い出だったのだ。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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