中国新聞

 天野 和昭   
 

2001.1.30

 32. たたかない



 子どもの涙に胸うずく

 「やっぱりお子さんをたたいたりするでしょう」と聞かれることが何度かあった。男手だけの子育てはままならないことが多く、そんな時は暴力を振るうはず、と見られていたのだろうか。幼児虐待のニュースを聞く昨今、単なる父子家庭への認識不足とほっておけない。

 私の両親は、自分たちがたたかれてきたので絶対に子どもはたたかない主義だった。私が、実際に人がたたかれるのを見たのは大学の寮に入ってからである。

 ただ、隣に住んでいた祖母の小銭をくすねた時は、家の横の大きな杉の木に縛られた。道行く人にもの珍しそうに見られ、江戸時代ならさしずめ市中引き回しの刑。今なら虐待に違いないが、たたかれた記憶だけは、ともかくもない。

イラスト・丸岡 輝之

 私は、二人の子どもが手こずらせた時、よく玄関の外に出した。玄関で「ごめんなさい」と泣きながらわびる声を覚えている。食事の前に手を洗わなかったとか、私の言うことを聞かずだだをこねたとか、その程度のことだったのだろう。何もそこまでしなくてもよかったのだが…。

 小学生になると、この手が効かなくなった。ある日「そんなに言うことが聞けないなら、お父さんは出て行く」とやってしまった。案の定、子どもたちは大仰(おおぎょう)なくらい不安な顔になった。母親が子どもたちの前で出て行ったわが家では、これは禁句だったのを忘れていた。

 たたいたことは、一回だけある。長男が小二の時、許せないことがあった(今思えば私にも責任があったが)。

 長男は一瞬何が起きたか分からないまま、ほおを押さえて「痛いよう」と叫んで私を見上げた。信じていたものに裏切られたような表情が浮かんだと思うと、掛け始めた眼鏡の向こうに大きな涙がしみ出て、ポタポタと落ちた。しまった。悪かった…。

 その後、私がしかる態度を見せると、子どもたちが両手で顔を覆うしぐさをするようになったり、妹が、けんか相手の兄に向かって「父さんにたたかれるぞ」と牽制(けんせい)するようになった。

 もう二度とたたくまいと思った。父としての信頼を失いたくなかったのである。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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