2001.1.23
「気にしているよ」のサイン
「プレゼント」にまつわる思い出は、苦い。
まず、小学校低学年のころまでの誕生日のプレゼント。長男は、合体ロボットやラジコンの自動車など希望を言うので、それを買えばよかった。自分が子どものころを思い出してこの年齢ならこれをほしがるだろうと推測もできた。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
ところが娘の場合は難しかった。「何でもいいよ」。品物選びに苦しみ、たいていは仕事帰りに、慌ててぬいぐるみを買って帰るのである。
娘は小さいころから、ままごとセットや人形など女の子らしいものをほしがらなかった。もし母親がいれば、自分の経験から喜びそうなものを与えてやり、娘もそれをもとに「これがほしい」と言うことができたのではなかろうか。
というのも、一度髪留めを買ってやったことがあった時「次はこんな色を」とほしがったことを思い出すからだ。
そうした基本的なものを与えてやれなかった。結局、母親の役はできなかったのだと思うと、娘がかわいそうになる。
妻がいた時の思い出も苦い。
職場の同僚に「遅く帰る日が続くから、花かケーキを買って帰ったら」とアドバイスされた。
でもそんな不自然なことをして妻の怒りが鎮まるとも思えず、それ以上に家族のために遅くまで働く私がプレゼントを買うのが理不尽に思えた。
さらに、私たちの世代はプレゼント慣れしていない。輸入された習慣は、わざとらしくて嫌なのだ。誕生日プレゼントを両親にもらった記憶もないし、母が生きていたら「そんなゆとりなんかなかった時代」と答えるだろう。
しかし振り返ってみると、そう硬く考えることはなかったのだ。理由がなくったって、プレゼントを贈るのは「あなたを気に留めていた」というちょっとしたサインだった。「コミュニケーションの一つ」という意味をプレゼントに持たせたら、案外捨てたものではなかったのかもしれない。
かつて子どもに「お父さんの誕生日は何もせんの」と聞かれ、「大人になるとうれしくないんよ」と、本心を偽って答えた。照れくさいのを我慢して、今度は「ほしいよ」と言ってみようか。
(一人親家庭サポーター=広島市)