中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.12.26

 29. 「面倒くさい」



 後で分かる子育ての幸せ

 子どもたちがよく「面倒くさい」と言っていた。

 食器を洗わせれば、茶わんや皿の裏の汚れが落ちていない。洗濯物を干せば、Tシャツの襟から無理にハンガーを突っ込む…。そこで丁寧にやるように注意すると、「面倒くさい」を連発する。

 果てには「そんなに言うんなら、お父さんが自分でやれば」となってしまう。これを聞くと「その言いぐさはなんだ…」と私の果てしない説教がくどくどと続いたものだ。

イラスト・丸岡 輝之

 最近は「面倒くさい」ことは生きること、とだけ言う。内臓は絶え間なく面倒で複雑な動きをしている。生きているから、面倒な食事をし、便所にもいかなければならない。面倒くさいことをやめたら、生きられない。今のところ、これには子どもたちも反論できないでいる。

 この九年間は、面倒くさいことの連続だった。それまで育児を妻に任せきりだった私にとって、三歳と五歳の子どもの世話をすることは、手や足をとられることばかりだった。

 小学校低学年までは、自分は子どものためだけに生きているのかと思うほど、際限のない面倒を繰り返す毎日だった。「これでは自分の人生は一体何なのか」と落ち込みもした。

 しかし幸福だったと感じるのも、このごろまでだったように思う。アパートの暗かった一室も、三人が帰ればとたんに明るくなった。兄弟げんかも含めて三人の会話があふれ、生活の充実感に満ち満ちていた。

 食事をしながら、ふろに入りながら、寝床で寝転びながら子どもたちのキャッ、キャッとはしゃぐ声と笑い声ばかりが聞こえてくる。目に浮かぶのは、満足そうな笑顔ばかりだ。

 もし、人が痴ほうになって人生で最も印象深い幸せな時に戻るのならば、私はきっとあの時に戻るだろう。孫を、子の名前で呼び「きょうは保育園でどんなご飯たべた?」「さあ買い物行くぞ。今晩は何食うか」と話しかけるのではなかろうか。

 子育てでは、面倒くさい期間ほど幸せな時と言えるように思う。しんどいけど充実した日々。

 若い親たちが「早く自分のことは自分でできるようになってくれればいいのに」と話しているのを聞いたり、スーパーなどで大きな声で子どもを怒鳴り散らしている場面を見掛けると、伝えたい。

 「面倒な今が、実は一番幸せな時だよ。今が一番思い出に残る時なんだよ」と。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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