2000.12.12
「英才教育」とんだ失敗
以前は、ふろによく三人で入っていた。夕食が早くすんだ日は、子どもの後に私も入っていく。服を脱いでいると「きょうは、お父さんが入るぞ」と、待ちかねたような話し声が、中から聞こえてくる。
湯船は狭い。子どもを先に漬け、先に上げる。冬は湯冷めしないように、しっかりぬくもらせなければならない。そこで「さあ数えるぞ。肩まで沈んで」と数え始める。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
最初は「一、二、三…」だったが、飽きたので十二支にしてみた。「ネ、ウシ、トラ…ハイッ」。続いて子どもたちも「ネ、ウシ、トラ」。「次はウ、タツ、ミ、ハイッ」といった調子だ。これに気を良くして、ふろで勉強させることを思い立った。血の巡りもよくなり、記憶には最適の場のように思えたからだ。
まずアルファベット。「A、B、C、D…ハイッ」「エー、ビー、シー、ディー」。二人ともすぐ覚えた。私は、大発見をしたようにほくそ笑んだ。これで塾にも行かせず英才教育ができるぞ…。
今度は九九だ。「覚えたら勉強がよくできるから」と言い聞かせた。最初は順調だった。でも何日か過ぎると「もう熱い」とか「上がりたい」などとぐずり出した。
私は、引いてはいけないと無理やり九九を言わせた。このころから「お父さん、きょうも入るん?」と、私を歓迎しない雰囲気になりはしたが、とうとう小二で覚える九九を小一で暗唱できるようになる。
ところが二年生になってみると、二人とも算数は苦手だし、テストも良くない。思惑は外れた。
その後も「1m=100cm」など単位表をビニールカーテンに書いたりもしたが、もう見向きもされず、ふろ場を勉強部屋にする計画は失敗してしまった。
子どもたちは、ふろで私との楽しい時間を過ごしたかったのだと、だいぶん後になって分かった。そういえば暗記をしない時は、その日の出来事をたくさん話してくれていた。時には「ババンバ、バンバンバン、いい湯だな」と三人の歌声と笑い声が響いた。
結婚当初、私は自炊の経験から得たノウハウを持っていた。それを年下の妻に教えるのが、自分の役割の一つだと思っていた。しかし夫婦の関係は、そうした機能的なものでなく、情緒的な結び付きこそが大切だったと離婚後に分かる。
それは親子関係でも同じだったのだ。今一人で湯につかり、もう一度あの時に戻れたらと思う。
(一人親家庭サポーター=広島市)