2000.11.28
再婚する気はないが…
離婚後の私は、再婚できないと覚悟を決めていた。家事や育児に本気で取り組んだのは、そのせいである。
憶病になっていた。あんなにほれていた妻とうまくいかないなら、結婚生活を維持する能力がないのだろうと。別れる前のののしり合いの中では、私を否定され、自信も失っていた。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
ただ再婚話には、必ず「お子さんのためにも」が付いてくる。「小さいうちなら新しい母親となじみやすいから」と勧められるのである。
その気になったわけではないが、小学校に上がった長女に「お母さんがほしくないか」と聞いたことがある。
「優しい人なら」と娘。しかし三年の長男は「怒る大人は、お父さん一人でいい。二人も怒る人はいらん」と言う。
「なら、保育園で一緒だった○○ちゃんのお母さんのように美人で優しかったら?」と問うてみる。
娘は「だめ、優しくない」。じゃあ、と顔見知りの何人かの名をあげた。
「お父さん、何も知らんのじゃね。よそのお母さんは、外では優しいけど家の中じゃ、みんな怒るんよ。遊びに行って知っとるんじゃけえ」
娘の言葉に、長男も「ほうよ、ほうよ」と相づちを打つ。再婚の話はもう、話題に上らなくなった。
娘が六年になって唐突に「私らが結婚して家を出たら、お父さんは一人で寂しいじゃろうね」と言い出した。父子家庭の物語「北の国から」のビデオの中で、子どもが父を捨てて都会に出る話を思い出したのだろうか。
私は「一人になったら、もっと自由になれる。それに大人じゃけえ、寂しくない。でも心配してくれるんなら、もう一度結婚しようか」と言ってみた。
二人が同時に「お母さんと?」と聞き返してきた。「いや、別の人と」と私。娘は「私らが結婚した後ならいい」と言ったが、中二の長男からは「いけん。愛して結婚する人は人生で一人。お父さんは、それが分かって離婚した。責任を取って、寂しく過ごしんさい」と説教されてしまった。
家事労働をしてもらうために、自分で何でも決められる自由を捨てて再婚するつもりはない。しかし男や女である以上に、互いに尊敬できる人と巡り合ったら、果たしてどうだろうと思う。同時に、子どもが実家で泊まる夜、一人でいることの不安感に襲われることがある。
この不安が「寂しさ」なら、娘に言ったのは強がりになるが、大人だって寂しい時は寂しい。平均寿命までの残り三十年余り、寂しさに負けず過ごせるだろうか。
(一人親家庭サポーター=広島市)