中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.11.21

 24. タイムマシンに乗って



 やり残したこと 今実現

 スポーツセンターのプールがスケートリンクに衣替えした。年に二、三度はスケートを楽しんでいる。滑れるようになったのは、子どもたちのおかげといっていい。

イラスト・丸岡 輝之

 長い間、あこがれるだけのスポーツだった。初めてスケート場に行ったのは小学校低学年のころ。父に頼んでのことだ。「早く滑ろう」と父を促す私。しばらく眺めていた父は「あんな包丁のような物を着けた人の中には、危のうて行けるもんか。約束通り連れて来た。もう帰るぞ」。さっさと外に出てしまった。

 はぐらかされた「恨み」を晴らそうと、学生になると勇んでスケート場に行ってみた。しかしつま先でチョコチョコが精いっぱい。すぐにかかとの皮がめくれ、血が出てきた。楽しげに手を振る友人の滑りを眺めるだけに終わった。

 次にスケートリンクに立ったのは、父子家庭になってからだ。長男は、私が初めて行った時と同じ年ごろである。今度こそはとリンクに下りて滑ろうとしたら、「待ってえ」と子どもたちの声。

 内心「面倒だな」と思いながらも、仕方なく手をつなぎ、二人を引いて歩いた。早く進みたいが、両手の子どもがブレーキになり、ただ歩くばかり。三人で手をつないで散歩しているようなものだ。二時間ばかり歩き続けただけで帰った。

 一週間後、「また行きたい」とせがまれた。やれやれと思いながら出かけた。前回と同じように、左右の手には子どもたち。また二時間くらい歩いて面倒になったので、右、左、右、左と子どもの歩調に揺られることにした。

 するとどうだ。私の体がスースーと左右に滑り出したではないか。「えっ、スケートしてる」。うれしくなった。子どもたちに手を引かれ、左右の体重移動ができるようになったのだ。子どもたちによって、格好よく滑る夢がかなったのである。

 父子家庭になって私は、人生でやり残したことの再履修をしているように思うことがある。あるいは私に代わって、子どもがやってくれている。

 病気がちの父とはできなかったキャッチボールや魚釣り。私は、父の球の速さに驚き、父の獲物の大きさに目を見張ったはずだ。恐竜図鑑や昆虫図鑑を一緒にのぞきこみ「お父さんの知識にはかなわない」と尊敬したはずだ。

 相手をしている長男に、こうありたかった自分の姿を見る。私にとって子どもたちは、過去に連れて行ってくれるタイムマシンだ。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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