中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.11.7

 23. 旅に出たい



 雑事離れ子と向き合う

 秋の観光シーズンだが、家族で泊まりがけ旅行に出たことがない。子どもたちと、せめて一泊旅行の時間をつくりたい。

 結婚時は、その気にならなかった。妻からはよく「どこか行こう。子どもも行きたがってるよ」と言われた。しかし出掛けた車中ではいつもけんかになる。

 道を間違えた、地図の見方が違っていた、昼食がまずかった…何でも理由になった。果てに「ああ面白くなかった。疲れただけ」と言われると、もう意欲はなくなる。

イラスト・丸岡 輝之

 東京から来た妻が地理にうとかったからだが、行き先を考えるのも私、運転するのも私、それで「面白くなかった」では割が合わない。

 だから、休日はほとんど妻の要求を無視して、家でゴロゴロ。遅い朝食の後、子どもたちが「どっか行こう」とせがむと、「はいはい、みんな一緒に夢の国」と言って、嫌がる二人をそばに抱えて寝かす。

 しばらく寝たふりをして寝息をリズミカルに刻んでいると、子どもたちも布団に目や顔をこすりつけながらいつの間にか寝てしまう。私も、さわやかな青空を見ながらゆっくりまどろめるはずなのだが…。

 食事の後片付けをした妻が現れた途端「今寝せると、夜寝ないでしょ。それとも、あなたが寝かしつけてくれるの」と小言が雨あられのように降ってくる。

 「疲れてる」と言い訳をするが、静かに寝かせてもらえるはずはなく、小言に耐えかねて外に飛び出すことになる。近くのスーパーに行って本を見るか、車で太田川の河原に行くかである。こうして、休日も仕事場に逃避する習慣が出来上がってしまった。

 確かに疲れてもいた。平日は仕事に没頭しているのだから、休日は体を休める意味しかなかった。それを妻には理解してほしかった。

 でも今は、多少の無理をしてでも、子どもと旅行に行きたい。日常の雑事から離れて、子どもたちと向き合ってみたい。長男の進路、娘のクラブ…食事の準備など家事に邪魔されず、ゆっくりと話してみたい。

 休日は、体を休めるだけでなく、家族と過ごす大切な日なのだった。家庭サービスではなく、家族同士が互いを見つめ直す大切な日。それができないほど忙しいのなら、むしろ仕事の方をカットすべきだと今は思うのである。

 妻が「どっかに行こう」と言ったのは「一緒の時間を過ごして、向き合おう」との意味だったに違いない。でもかつての私は、家族に気が向いていなかった。妻が「楽しくない」と言ったのは、私の渋々の本心を見抜いたからであろう。私に欠けていたのは、妻や家族を慈しむ気持ちと時間のゆとりだった。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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