中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.10.24

 21. 心伝えたい読み聞かせ



 泣いたり笑ったり 生きていく指針に

 読書週間が二十七日から始まる。折しも今年は、子ども読書年。今回は読み聞かせをめぐる話を拡大版で。

 妻が残してくれたものに寝る前の本読みの習慣があった。二人の子どもに挟まれ上向きで本を読むのだ。

イラスト・丸岡 輝之

 台所で後片付けをしている妻から「たまには、あなたも絵本を読んで寝かしつけて」と頼まれてのことである。

 仕事の準備があったり、晩酌をしていい気持ちの時など、言い訳をして逃れようとしたが、妻の声が大きくなると仕方なく子どもたちの間に入る。

 寝かせればいいと考え「おじいさんと、おばあさんがいて、おじいさんは山に行ったとさ。後はもう知っとるじゃろ。もう寝え」とか、二、三ページずつとばして読み「あれこれあったが二人は幸せになったとさ。もう寝え」とやるのである。

 これで寝るわけはなく二人は「ちゃんと読んで」と騒ぎだす。結局は、険しい表情の妻の登場となり、私の役目は終わる。

 ある時、難しいものを読めば眠くなるという体験から、六法全書を読んでみた。残念ながら、子どもたちは騒ぎ、私の方が眠くなってしまった。それほど、私にとって絵本読みは苦痛で、意味のない作業だったのだ。

 父子家庭になると、洗濯や明日の朝食準備のために、早く子どもたちを寝かさなければならない。といって妻がいなくなってよけいに私にまとわりつく子どもたちに「早う寝え」では効果ない。さりとて代わってくれる者もないので、もう本読みから逃げられなくなった。

 最初は、寝かせられればと淡々と読んでいたが、ある時、登場人物ごとに声色を使ってみた。中村メイコさんほどの声の使い分けではないが、おなかを抱えて笑う子どもたちの反応に、新鮮な喜びを感じた。

 それからは、女の子は口先のかわいい声で、悪者はせき込みながらものどを絞った低い声で、と演技力たっぷりに読んでみた。関西弁や広島弁に直してみたり、物語の歌を途中で入れたりもした。

 そうなると、私が絵本を持っただけで寝床に走って行くようになった。「今日はどんなふうに読むかな」と二人はわくわく顔で迎えてくれる。私にとっても本読みは貴重な時間になった。

 当時は、登場人物が多くて楽しい本を選んで買ったものだ。「こんびたろう」や「三年寝太郎」は子どもたちの大好きなお話だった。私は「地獄のそうべえ」が関西弁の語り口にピッタリで、気に入っていた。

 しかし、たまたま買った「ちいちゃんのかげおくり」を読んだ時から、楽しいだけでなく、子どもたちに読んで聞かせたい本、自分の思いを伝えてくれる本を選んで買うようになった。

 戦災で家族を失うちいちゃんの話を読み進むうち、不覚にも声が詰まってしまった。両わきの二人も、目ににじむ涙を見たのだろう、先をせかせることなく、黙って待っている。

 読み終わった後、私が聞いた被爆した祖父母の話やシベリアに抑留された父の話をした。子どもたちはいつもと違う本読みに面食らっていたが、これ以来必ず「お父さんは、この本を読んでこう思ったよ」と語ることにした。

 本読みの意味がやっと分かってきたからだ。単に子どもを寝かしつけるためではなく、自分の価値観や人生観を伝える大事な機会なのだと。

 子どもたちには、感動したり涙した物語を生きる指針にしてほしい。同時に本を読みながら感動する父の姿も、覚えていてほしいと思う。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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