中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.10.17

 20. 苦い弁当箱



 開けて知る 妻の気持ち

 子どもの運動会だからと、知人に招かれた。行ってみると、手の込んだ弁当だ。でもお昼時間、子どもは好物だけ食べると、さっさと遊びに行ってしまった。

 「時間をかけて作っても、たくさんは食べないのよね」と知人は寂しそうだった。私もうなずいた。そう、食べるだけの子どもには、作った親の気持ちは分からないのである。

イラスト・丸岡 輝之

 毎日の弁当だって、少しでも残されると腹が立つものだ。「昼休憩が短かった」とか「クラブの準備があった」と言い訳されても、「父さんの睡眠時間を返せ」と嫌みも言いたくなる。

 しかしそういう私自身、かつて作る側の気持ちが分からなかったのである。

 離婚前の教師時代、会議や生徒指導で忙しく、昼の弁当が食べられないことがあった。やっと落ち着いた夕方には中身が傷みかけている。そのまま持って帰るしかなかった。

 はしをつけていない弁当を見て、妻は怒った。「せっかく早起きして作ったのに、どうして食べないの」「仕方ないだろう。忙しかったんだから」…。

 たかだか弁当のことで責められるのは納得できなかった。むしろ食べる時間もなかったことに対し、ねぎらいの言葉がほしいぐらいだった。

 弁当を食べられない日が、もう一度あった。今度は、妻の不満顔を見たくないので、帰る途中に川へ中身を捨てた。夕食後、空の弁当箱のふたを開けた途端、妻は「また食べなかったのね」と怒り始めた。

 「食べてるじゃないか」

 「食べてない。どこにも、はしの跡がないじゃないの。ご飯粒の形がそのままついているじゃないの。どこかに捨てたんでしょ」

 見ていたかのように言い当てられ動揺したが、もう黙っていられない。居直った。

 「家族のために弁当も食べられないほど働いて、どうして怒られるんか。中身を捨ててきたのは、お前が嫌な思いをせんようにじゃないか」

 男は仕事で評価される、と信じていた。仕事を一生懸命しているだけで、社会に、家族に認められると思っていた。だから妻にはまず、空腹を抱えてまで仕事をしてきた自分を認めてもらいたかったのだ。

 今では、妻の気持ちを受け取めることが先だったのだなと思う。早朝の慌ただしさや苦労がすべて無駄になったのだ。どんな理由があったにせよ、自分の苦労が無にされることは耐え難いことである。

 作る側の気持ちは、主夫になって初めて分かった。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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