2000.9.26
欲しい「ありがとう」
「男の仕事と比べれば、家事など簡単」という男性がいる。確かに洗濯や炊事など個々の作業は単純で、そう高度な技術は必要としないかもしれない。
しかし家事労働の本質は、その内容よりも、休日も定年もなく何十年も同じことが続く点にある。繰り返しの中には、達成感はない。そしてそれ以上に私がつらかったのは、だれも評価してくれないことだった。「ありがとう」が言ってもらえない。それもサービスを受けている当人から。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
レシピを見て初めて挑戦した料理にも、干して温かな布団にも、ずいぶん早起きして作った弁当にも、子どもたちからの「ありがとう」も「頑張ったね」もなかった。
一晩かかって居間のふすま紙を替えた時、子どもたちが「うわぁ、これ一人でやったん? すごい」と驚嘆したが、ほめてくれたのはこの一度きりだ。
組織で働いている時には、評価は、昇給や昇格という形で見えていた。クリーンヒットには称賛の言葉があり、帰り際には「お先に」「お疲れさま」と互いを気遣う声かけもあった。ほめられ、認められることは次の一歩の弾みになったのだ。
子どもが保育園時代、初めてミシンで着替え袋を縫ってみた。先生は裏返してミシン目を確かめながら「へえ、上手に作っちゃったね」とほめてくれた。
久々にほめられて、離婚のショックと日々の生活の疲れで沈み込んでいた気持ちにエネルギーが満ちてきた。「ようし、主夫やっちゃるか」と元気が出たのを覚えている。それからはよその子の持ち物や商品を見本に、よくシューズ袋や小物入れを縫ったものだ。
しかし子どもに対して、となると…。洗濯担当の長男に「水と時間の使い方にムダがある」と小言を言ったことがある。長男は「その前に『ありがとう』だろ」と不機嫌そうだった。
私はつい「お父さんがやってるのはもっと大変なことだ。じゃあ、お前らはお父さんにありがとうと言っているか」と怒鳴った。しまった、と思ったが遅い。
なんのことはない。冒頭の男性の言葉と、そして私が妻に対して腹の中で思っていたことと同じことではないか。離婚して家事の大変さを理解してきたはずなのに…。
相手を評価すれば、自分も評価してもらえる。頭では分かっていても、実践はなかなか。子どもたちに素直にありがとうと言えるまでは「離婚から学んだ」と偉そうにできない。
(一人親家庭サポーター=広島市)