中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.9.19

 17. においの秘密



 不思議なつながり証明

 私が起きた後の寝床に、隣に寝ていた娘がすかさず転がり込む。布団にほおずりをしながら「ああ、お父さんのにおい、いいにおい」。これが日課で、小学校のころまで続いた。

 時々、長男が先に潜り込み「きょうはおれがとった。お前はおれの布団に入れ」と娘をからかうと、「お兄ちゃんのは汗くさい」と言う。長男は「お父さんのだって汗くさいわい」とやり返す。

イラスト・丸岡 輝之

 酔ってふろにも入らずに寝ることもあり、決していいにおいがするはずはないと私も長男に同調するが、娘は「でも、お父さんのにおいは、いいにおい」と譲らない。

 嗅覚(きゅうかく)が発達するころに私のにおいだけをかぐ環境にあったからかもしれないが、ここまでひいきにされると、うれしいより照れくさい。

 私も子どものころ、出勤した父の寝床に潜り込んでにおいをかいだ記憶がある。まだぬくもりが残るまくらに顔をのせた時の心地よいにおいを、今でも鮮烈に覚えている。

 当時の男性は、ポマードでオールバックになで付けていて、父も少ない髪に「丹頂ポマード」をつけていた。人工的な香料が調合されたにおいが、父のいいにおいの正体だと思ってきた。

 ところが娘が六年生の時、夕食の際に「不思議じゃね」と話し出した。「きのう、おじいちゃんの所へ泊まったでしょ。おじいちゃんのまくらで寝たら、お父さんと同じにおいがしたよ」と。

 私は驚いた。父のまくらの心地よいにおいは、香料ではなかったのか。

 それだけではない。私は、勉強ができる兄の方を認める父に対し距離を感じてきたし、離婚してさらにうとまれたと思っていた。それでも私と父には否定できないつながりがあったことを娘が証明したのである。

 母については香りの記憶はない。自分のにおいに近過ぎて、知覚できなかったのかもしれない。美容師の仕事で染み付いたパーマ液のにおいに打ち消されたのかもしれない。

 子どもたちには母親のにおいの記憶を残してやれなかった責任を感じつつ、もう一度、母のにおいを確かめてみたいと思っていたが、その母は先月他界した。

 母の葬儀の朝、そり残しのひげをそるため、父のあごに電気かみそりを当てた。娘の言う「お父さんのいいにおい」が、昔のままにかすかに漂ったように感じた。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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