中国新聞

 天野 和昭   
 

2000.8.29

 16. まず理屈



 言い合って最後は爆発

 男は、喜怒哀楽の感情のうち「怒」しか許されていないのではないか、と前回書いた。もっと言うと「怒」の前に「理屈っぽさ」があるのではないかと思う。

 例えば子どもをしかる時がそうだ。まず、なぜそれをしてはいけないか、を説明をする。たとえを幾つか引き合いに出しながら話すのも私の癖だ。

イラスト・丸岡 輝之

 子どもがあれこれ言い訳をしてくると、別のたとえを出して強引に納得させようとする。さらに言葉を返してくると言い合いになり、最後は私の方が爆発して怒鳴ってしまっている。

 恫喝(どうかつ)しているだけで自分の気持ちを伝えきれず、効果はないようだ。長女が小学校のころ、外で「お父さんは、お兄ちゃんとよくけんかをしている」と言っているのを聞き、私の威厳はいたく傷つけられた。

 「お父さんのような大人が、お兄ちゃんのような子どもとけんかはしない。ああいう場合は、親が子どもをしかっているのだ」と娘を怒ってしまったけれども…。

 母親が子どもをしかる場面は、様子が違うようだ。

 それをなぜしてはいけないか、という説明はない。自分の感情を目いっぱい含んだ言葉を投げつける。「お母さんは怒ってるよ」のメッセージが、言葉の抑揚やリズムからもろに伝わってくる。

 相手からの「なぜ」を先回りして説明をしようとする私からすると、短い結論だけのしかり方ができるのは、うらやましい限りだ。

 夫婦の話し合いを振り返ってみても「私は理屈、妻は感情」だったと思う。

 私は、双方の言い分を積み上げて、理論的にどちらの言い分が正しいかを判断し、それに沿って合意に至ろうとした。

 「君はこう思っているんだろうが、私はそうではなくて、つまりはここで食い違っている」などと、できるだけ誤解のないように、たとえも織り交ぜたりしながら言ったものだ。

 しかし、妻からは「そんなぐだぐだした理屈はいいから、嫌なら嫌と言えばいい」とか「家に帰ってまで教師をしなくていい」と怒られてしまった。

 コミュミケーションの方法が違っていたのだな、と今では分かる。感情を受け取る心の奥行きが私に足りず、そこに妻はいらついていたのだな、とも。でもそれはおそらく、多くの男に共通していえるのではないだろうか。

一人親家庭サポーター=広島市)

 
  

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