2000.8.22
感情表現って難しい
「男ならメソメソするな。泣くな」「うれしげにニヤニヤするな」と育てられてきた。だから、喜びや悲しみの感情を表現するのが苦手だ。十数年ぶりに旧友と会っても、喜びを人前で表すのは恥ずかしく、興奮する気持ちを抑えてさりげない会話に努める。ポーカーフェース。それがスマートな男らしさと思っていた。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
女性たちが、遠くから見つけた友達に手を振りながら駆け寄って、はた目を気にせず手に手を取って再会を喜びあう姿と比べると何とも素っ気ないものだ。
喜怒哀楽の感情のうち、男性に許されているのは「怒」だけであるような気さえする。だから怒っている姿が「男らしい」のかもしれない。
しゃがみこんでカメラに向かう特攻服の少年は一様に怒った表情をしている。父親として子どもに向かう出番も、妻から「お父さん、たまには怒ってやって」と頼まれた時だ。間違っても「一緒に喜んでやって」とは言われない。
子どもと生活していると、自分はどうして感情の表現ができないんだろうと痛感することがあった。
二人が保育園時代。ビデオを見ていて笑い転げるような楽しい場面になった時、子どもが私の顔をうかがっているのが分かる。
私は、口角で少しほほ笑むぐらいしかできなかった。でもそれを見て子どもたちは、安心して声を出して笑ってくれた。
悲しい場面では、目がちょっと潤むぐらいしかできなかった。でもそれを確認すると子どもたちは「ここは、そういう場面なのだな」と納得したようにまた画面に目を戻してくれた。
時には、涙があふれそうになる場面もあって、その時には子どもの前で涙をみせても良かったと思うが、そうできなかった。子どもたちに顔を見せないように、流しで茶わんを洗ったり、ふろの用意をしたりその場を離れていた。
子どもの喜びにも共感してやれなかったな、と思う。女性のように「まぁ、九十点なの。頑張ったね。お母さんもうれしい」などとは、とてもではないが素直に言えない。つい「まだ、十点も足りないじゃないか」と言った後、せいぜい「まあ、ええか」とフォローにもならない言葉で終わらせてしまう。
父親の「怒りの顔」をモデルに育った私。私を見て育つ子どもたちがまた感情表現が下手になりはしないか、と心配している。
(一人親家庭サポーター=広島市)