2000.8.8
生活支える者の勲章
かつての私は、妻に対して何やら肩身の狭い思いをしていた。いつも妻の機嫌を損ねはしないかとおどおどし、子どもが母親の顔色を見るように、妻の顔色をうかがっていた。
なぜだろう。
妻は、食事の支度など家族の生活を目に見える形で直接支えている。だから家庭内で権威を持っていたのだ。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
私が家でしていたのは、家事や子育ての「お手伝い」。言われてする、仕方ないからするお手伝い。子どもの相手をするのもそうだった。
長男が一歳半の夏、山陰に海水浴に出掛けた。怖がる長男を浮輪に乗せ、海に入った。心配する妻に「大丈夫」と言いながらだんだん深いところに移動し、波が来るたびに伸び上がって両手で浮輪を持ち上げていた。
「さあ、今度は高いぞ」と言った瞬間、飲み込まれるほどの大波。不覚にも浮き輪を放してしまった。
その時、頭をよぎったのは長男の安否でなく「どうしよう、妻にしかられる」という恐れだった。慌てて振り向くと、浮輪ごと砂浜に打ち寄せられた長男。ほっとした。
そういえば、妻が大切にしていた手乗りインコを屋外で放し、戻らなくなった時も「どうしよう、妻にしかられる」と動転したものだ。
お手伝い感覚だから、することに腰が入っていないし、ミスをした時も妻の視線で自分を見てしまう。ちょうど、母の言いつけ通りにせずに失敗をした子どもの心に似ている。
しかるといえば、こんな体験もある。公民館の「おやじ学級」でのこと。「どういう時に子どもをしかるか」という問いに対して「行為そのものより、妻が怒り始めるとうるさいから、その前に先回りして」という答えが多かった。自分に被害が及ぶのを防ぐのが目的である。私もまたそうだった。
「しかられる時」も「しかる時」も、子どもに対しては、まともに向き合っていなかったのである。
今は自分の責任で、食事をはじめ生活のすべてを切り盛りしている。お手伝いではないから、だれにしかられることもないし、不本意ながら子どもをしかることもない。その結果、私は子どもから絶対の信頼を得ている。それはかつて妻が家の中で持っていた権威と同じものだろう。
費やした手間の量に比例して、家庭は自分のものになっていくのだと思う。
(一人親家庭サポーター=広島市)