5.集団的過熱取材
−節度と正確さ不可欠−
青森県と接する秋田県藤里町。白神山地の南に広がる静かな田舎町が二〇〇六年五月、突如として取材記者とカメラでごった返した。二軒隣だった小学生二人がわずか四十日ほどの間に相次いで殺された児童連続殺害事件。当初、水死とされた小四児童=当時(9)=の母親(34)が逮捕される事態に、報道はメディアスクラム(集団的過熱取材)の状況に陥った。
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あいりちゃんの遺体が見つかった現場で手を合わせる木下さん。遺影でほほ笑む、まな娘の冥福をそっと祈った(2006年11月21日夜、広島市安芸区矢野西4丁目) |
▽監視24時間体制
「母親を各社が二十四時間体制でマークした。警察が容疑者とみているのを知っているから、離れられなかった」と地元紙の記者は話す。
母親の実家の周囲には一時百人を超す報道陣が二十四時間体制で張り付き、母親が車で外出すると何台もの車が後を追い回す場面さえあった。
地元メディアで構成する秋田報道懇話会は「節度ある取材」を二度も申し合わせた。だが、過熱ぶりは収まらず、三度目には異例の取材記者の人数制限などを盛り込んだ自粛案をつくり、日本新聞協会などに協力を求める事態になった。
「この町では誰もがマスコミ不信になった。取材はもうごめん」。事件現場になった団地には今も大半の家に「取材お断り」の張り紙が残り、団地の入り口には立て看板が残る。
インターネットを中心に真偽がごちゃ混ぜの情報がはんらんする時代。正確な報道のために取材源に近づく努力とプライバシーへの配慮のはざまで報道への信頼が大きく揺れた典型例だった。
専修大文学部の山田健太准教授(メディア法)は「興味本位のニュースやうわさ話に踊らされない報道ができるのか、メディアの本質が問われたケース」と言う。「記事盗作やデータのでっち上げが相次ぎ、報道に公共性があるという意識が薄れつつある」と指摘する。
▽「大切な存在だ」
広島市安芸区で〇五年十一月に起きた木下あいりちゃん事件でも、藤里町と同様の混乱が起きそうになった。熊本県での葬儀にも報道陣があふれ、父親の木下建一さん(40)は「こんなところまで…と思った。そっとしておいてほしかった」と今も振り返る。
だが、その一方で建一さんは言う。「事件当初は取材に応じる余裕すらなかった。しかし、次第に時間がたち、自分の思いをきちんと伝える必要があると感じるようになった。議論の舞台となるメディアはやはり大切な存在だ」
関係者への取材は、真実を確かめ、正確な報道をするためには今まで以上に必要になる。日々の報道の積み重ねによって社会の不安を取り除くしかないわれわれは、取材対象にどう向き合うべきなのか。
山田准教授は「究極の場合は代表取材にするとか、記事に記者のメールアドレスを付けるとか、報道も読者の批判にさらされる勇気を持つべきだろう」と指摘する。(吉村時彦)
=おわり
2007.6.18