その5 牛
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朝、よっこがはるちゃんと学校へ行っていると、下谷の水車小屋の手前に、五、六人の大人が集まって、あわただしく何かしているのが目に入った。
近づいてみると、溝の中に、一頭の大きな牛が落ち、両側の石垣にすっぽりはまって、体が動かなくなっているのだった。そこの水車は、以前は、川から引いた水の力で米や麦を搗いていた。今は使われなくなって、溝だけが残っていたのだ。
牛には、新しいのや古いのや、何本もの縄がかけられ、体の下には、数本、太い棒がさしこんであった。牛は、両方の目をむき、口から泡をはき、両手両足を動かそうと、もがいていた。
「どいた、どいた!」
「子どもの見るもんじゃねえ!」
大人たちは、よっことはるちゃんをはげしくしかった。
「…………。」
よっこもはるちゃんも、黙って後ろへさがり、歩きだした。足が小またになる気がした。
よっこは、朝の会で、権藤先生から、この前かき直したカボチャの絵を写生大会に出したら、特選になったと知らされた。びっくりするやらうれしいやら、天にものぼる気持ちになった。下校の合図の『家路』のメロディーが流れ、靴をはくときまで、その牛のことなど、完全に忘れていた。
はるちゃんも、一時間めの算数の応用問題が一番に解け、交換採点で100点とれたので、一日中うれしくて、牛のことは頭から消えていた。らしい。
しかし、その黒い大きな牛は、同じ溝の中に、朝と同じかっこうのまま、はまっていた。石垣の石がくずれ、ちぎれた縄や折れた棒も、溝の底にちらばっていた。牛は、足が折れていた。
大人は、一人だけになり、その牛を引き取って肉にする、精肉業者のトラックが来るのを待っていた。
「…………。」
よっこは、自分たちが一日、勉強をしたり、運動をしたり、遊んだり、先生にほめられたりしていた間も、牛は、ずっとこのせまい溝の中にいて、痛みに耐えながら、首を曲げ、灰色の石や黒い土を見るだけで、自分たちと同じ時間をすごしていたのだと思った。
「…………。」
そこにいた男の人は、朝、どなりつけてきた人だったが、おそるおそるのぞきこむよっこたちを、おこらなかった。
その人は、しばらくして、
「もういいだろ…? もうお帰り……。」
と、やさしく言った。疲れきった顔だった。
崖の上のハルジオンの花のところに、小さなモンシロチョウとモンキチョウとが、もつれるようにしていて、やがて青い空のほうへと舞っていった。
よっこは、自然に涙がでてきた。見ると、はるちゃんも、うつむいて、頬をぬらしていた。
おわり
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