2000.1.11
あいさつに込める万感
おおみそか、私は正座して畳に手をつき、長男と長女にあいさつをした。「今年のお父さんとはこれでお別れです。一年間一緒にいてくれてありがとう」。子どもたちもまた「お世話になりました」と返してくれた。元日は改めて「おめでとうございます」とあいさつを交わし雑煮に向かった。これが、離婚した九年前からのしきたりである。
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イラスト・丸岡 輝之 | |
親子で照れくさい。しかし、年が替われば自分も生まれ変わるというのが、古くからの考えだ。そう話しているので、子どもたちには抵抗はないようだ。
改まったあいさつを始めたのは、第一には私自身が礼儀知らずで恥ずかしい思いをしたことがあるから。第二に、子どもたちに母親がいなくなった事実を説明しておきたかったからだ。とりわけ、自分が母親を困らせていたのが原因ではないかと気にする長男に対して。
だから最初のおおみそかは「お母さんと一緒でなくなったのは、お前たちが悪いからではなく、お父さんのせいです。だから謝ります」とわびた。
以後は「頑張って保育園に行きましたね。ずいぶん助かりました」「お兄ちゃんはお手伝いができるようになりました。ありがとうございます」…。親子でも改まって気持ちを表現する機会をつくりたい。これが第三の理由だ。
娘が三歳の時、実家のたたきに正座し「おばあちゃん、おめでとうございます」とやって、親をびっくりさせたことがある。土下座はともかくとして、どこに行っても「堅いことはいいから」と正座であいさつを返してもらえないことが多い。外で通じないのが残念なのだが。
妻とは、八年越しの恋愛だった。恋人としては十分知っていても「夫」「妻」としての相手は未知だったが、よく知っているつもりで生活を始めた。いつしか、自分が望む役割イメージと合わない相手を責め、ののしり合った。
挙式の前日に「恋人」としての立場を意識的に変えていたら「こんにちは。君と新しく家庭を築くパートナーです。夫としてどうしていいか分からないけどよろしく」との決意と、初めて出会う人に対する思いやりと礼儀を持つことができたように思う。
妻との「さようなら」の後でやっと分かった「こんにちは」の意味。それが、子どもと仰々しいあいさつをする本当の理由である。
(一人親家庭サポーター=広島市)