勤務医の待遇改善課題 医療事故補償 急がれる整備
島根県立中央病院(出雲市)の勤務医、加藤一朗さん(34)は、七年近いキャリアを積んだ内科から、産婦人科への転身を決意した。研修医に戻って、分娩(ぶんべん)や外来に携わる忙しい日々を送っている。「なぜあえて、きつい産婦人科に?」。周囲は驚きの反応だった。
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内科から転身を決意し、産婦人科で研修を積む加藤医師。「後に続く人が出てくれれば…」と願う(出雲市の島根県立中央病院)
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産婦人科の無過失補償制度 分娩事故で脳性まひの赤ちゃんが生まれた場合、医師に過失がなくても補償金を支払う制度。産婦人科医師の訴訟リスクの軽減や患者の迅速な救済が狙い。自民党の検討会によると、補償金額は1件数千万円、年間計300億円程度の費用を見込む。費用負担のため、健康保険から妊産婦に支給される出産育児一時金(子ども一人当たり35万円)が3万円程度増える可能性がある。
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生誕の瞬間に立ち会う産婦人科。「何にも替え難い喜び」と、やりがいを強調する。高齢者を相手に数多くの死をみとった内科時代とは対照的な世界だった。「激務や、訴訟リスク以上に得るものは大きい。それを肌で知らない医師が多いのではないか。自分でも笑顔が増えたのが分かる」と語る。
四月から産婦人科医師一人体制になる隠岐病院(隠岐の島町)へ赴任し、島の正常分娩を支える予定だ。トライアスロンで鍛えた体力には自信がある。「島の人に安心感を持ってもらえたら」と意気込む。もともと安来市出身で自治医科大(栃木県)に進み、地域医療を志していた。都会暮らしや高給取りに興味はないという。
加藤医師のように、別の診療科から産婦人科に切り替わる医師は、全国でも極めてまれだ。ハードな勤務と訴訟の多さから産婦人科は敬遠されているからだ。では、どうすれば、産婦人科の担い手を増やせるのか。
▽開業医志向強まる
広島県内の病院長らに、その方策を尋ねた、ある調査結果がある。七割以上が、こう回答した。「勤務医の勤務体制の改善・整備」と「勤務医の時間外に対する手当の完全支給」−。「医療事故に対する被害者の救済を目的とした補償制度」にも答えは集中した。
深刻な産婦人科医師不足を招いた今、医師の「志」や「職業倫理」に期待し続けるには限界がある。勤務医の職場環境の改善を求める声が、医療現場で高まっている。背景には、分娩を扱わない開業医に流れる傾向を食い止められない現状がある。
「勤務医が耐えきれずに退職し、さらに環境が厳しくなる悪循環の繰り返し」。人員不足に直面する勤務医たちは言う。「モチベーションが下がる一方。せめて労働実態に即した手当を」と訴える。
広島市内の四十歳代の産婦人科医師は「産婦人科勤務医の報酬を倍にするなど、思い切った手段でもなければ、悪循環は断ち切れない」と主張する。
深夜や、未明にある分娩の対応、病院での頻繁な泊まり込み、自宅拘束など、他の診療科に比べ、勤務が不規則で負担感が重い。病院と自宅での拘束時間で時給を計算してみると、千円を切ったという。「カネで釣るように聞こえるかもしれないが、何も解決できないままなら、将来の担い手となる若者を引きつけられない」と危機感を募らせている。
▽目前に迫る破たん
医療事故の補償制度をめぐっては、分娩事故で脳性まひの赤ちゃんが生まれた場合、医師に過失がなくても補償金を支払う「無過失補償制度」の検討が与党内で進む。警察や司法とは別に、医療事故を精査する第三者機関の設置を望む動きも医師団体から出ている。
「絶滅危惧(きぐ)種」とさえ言われる産婦人科医師。医療現場に安定した基盤がなければ、産む側が安心できる「いいお産」は成り立たない。加藤医師に限らず、「やりがいは格別だ」との産婦人科医師の声は一致する。その声を現場につなぎとめるには、どうすればいいのか。
現状打開の一手を早急に打たなければ、目前に迫った破たんは防げない。産む側にもできることは何だろう。お産のリスクや医師の過重労働を踏まえ、医療事故の補償制度や、医師の待遇改善に向けた国民全体の負担の在り方を考える時が来ている。“絶滅”してしまってからでは、遅い。
■ 助産師不足 86人に ■
中国地方10年推計
廿日市市のJA広島総合病院が、助産師不足で分娩制限に踏み切るなど、医師と並んで、お産を支えるべき助産師の不足が深刻になっている。
厚生労働省の看護職員需給見通しによると、中国地方の医療機関での助産師の需要数は二〇一〇年で計千七百五十二人と見込まれている。これに対し、供給は千六百六十六人しかなく、八十六人の不足が生じる計算になる。
不足数を県別でみると、広島県六十七人▽山口県十三人▽岡山県一人▽島根県七人。鳥取県はプラス二人となっている。全国の不足数は計千人になる見通し。
一方、広島大をはじめ中国地方の教育機関で養成している助産師は年百人程度。再就業者数を合わせても退職者数が上回って推移する格好だ。
広島大大学院の横尾京子教授(母性看護学・助産学)は「ケアの内容によって助産師の必要数は異なる。不足数は本当は、もっと多いのではないか」と疑問を投げかけ、「養成の場の拡充や、資格があるのに就業していない潜在的な助産師の活用が必要だ」と指摘している。
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