産む力 生まれる力重視 医師と連携しリスクを軽減
「えーっ、どこで産もうか」。妊娠五カ月だった三宅桂代さん(29)=倉敷市=は、昨年七月、近くの水島協同病院が十月から分娩(ぶんべん)を取りやめると聞き、不安にかられた。上の二人も産んだ同じ病院で、今回も出産を予定していた。
そして今年一月。「どうなることかと思ったけど、安心して産めてよかった」。三宅さんが出産したのは、病院のすぐ隣の「さくらんぼ助産院」だった。病院を運営する倉敷医療生活協同組合が、医師がいなくなる昨年十月に間に合わせようと、急いでオープンさせた。民家を改装した、真新しい施設だった。
病院が分娩をやめたのは、岡山大が医師の派遣を中止し、産婦人科医師が一人になったためだ。「産婦人科の閉鎖も選択肢にあった。でも、妊婦さんたちの要望もあり、お産の場を残したかった。苦肉の策です」と病院の鹿田洋美事務長。院内の助産師の力を借り、代わりに産める場を新たに設けることを、急きょ決めた。
病院とは違い、正常な経過の妊婦だけしか引き受けられないが、これまでに十九人の赤ちゃんが産声を上げた。助産師歴三十年の柏山美佐子所長(52)は「安全なお産のためには、経過が正常かどうかの見極めが大切」と話す。病院に残る産婦人科医師や、近くの総合病院と連携しながら、「正常分娩」は責任を持って担っていく考えだ。
▽院内にセクション
正常分娩は助産師が、リスクの高い分娩は医師が―。そんな助産師と医師の役割分担を、先駆的に実施している病院がある。神戸市の佐野病院も、その一つだ。産婦人科とは別に「助産科」を設けている。病院内の助産師だけで分娩を担う「院内助産所」の機能を果たすセクション。試みを始めて、もう十年になる。
助産科での分娩件数は百二十八件(二〇〇六年)で、全体の分娩件数の四分の一にも及ぶ。産婦人科の三浦徹医師(69)は「結果的に、医師の過重労働の軽減につながっている。でも、もともとは自然に産む力、生まれる力を引き出すのが狙いだった」と説明する。
助産科は、外来も分娩も、畳の部屋。まるで病院の中に助産院ができたみたいな感じだ。分娩台ではなく、自由な姿勢(フリースタイル)で出産に臨む。アットホームな雰囲気の中で、妊婦の希望にできるだけ沿い、きめ細かくケアする。
もちろん、正常な経過の妊婦を担当。「お産は最後まで何があるか分からない」と言われるが、分娩の途中で帝王切開が必要となり、産婦人科に切り替わった妊婦は、この二年間ではゼロ。たとえ緊急帝王切開が必要になったとしても、隣の産婦人科の分娩室に迅速に移ることができる。それも「院内助産所」の大きなメリットだ。
▽全国から見学続々
安全で、快適で、医師の負担軽減にもつながる助産科。今、産科医師不足に悩む全国の病院や自治体から注目を集め、ひっきりなしの見学が続いている。
島根県の離島にある隠岐病院(隠岐の島町)も、見学に訪れた団体の一つだ。隠岐病院は今年四月から、院内の助産師がローリスクの分娩を介助する「助産科」を立ち上げる。中国地方では初めての試みだ。
佐野病院と違うのは、現在二人いる産婦人科医師が四月から一人になり、産婦人科が分娩をやめてしまう点だ。産婦人科との連携に限界が生じ、助産科が受け入れる妊婦の条件は、おのずと厳しくなる。早産や多胎など、ハイリスクの妊婦に加え、初産の人も断ることにしている。
これまでの年間分娩数は百―百二十件。新しい助産科で想定しているのは、わずか二割程度の件数にとどまる。それでも、なぜ助産科を設置しようとするのか―。隠岐病院の米田幸夫副院長(58)には、昨年四月から半年間の病院の分娩休止で、島外出産を迫られた妊婦たちの姿が、苦い経験となって頭をよぎる。
「隠岐の分娩の灯を消さないためには、もうこの方法しかない」。深刻化する医師不足の影の中で、新たな挑戦が始まろうとしている。
■ 「助産師外来」で妊婦健診 ■
不安・質問にじっくり答える
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助産師外来では、助産師が妊婦の話にじっくりと耳を傾ける(岡山中央病院ウィミンズセンター)
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病院にいる助産師だけで分娩を担う「院内助産所」とまではいかないが、助産師が妊婦の健診や保健指導をする「助産師外来」も、広がりつつある。岡山市の岡山中央病院ウィミンズセンター(産婦人科)は、その一つだ。
同病院は、毎週水曜日に助産師外来を開いている。妊婦健診の時間は、一人当たり三十分間。医師の健診の二倍以上に当たる。体の変化や、生まれてきた子どもにどう接すればいいかなど、さまざまな不安や質問に助産師がじっくり答える。二〇〇〇年から導入した試みで、妊婦に寄り添った健診を目指している。
助産師が健診を担当した分だけ、医師の負担が減る。産婦人科の木村吉宏医師(44)は「医師からみれば、勤務のハードさが緩和される」と、医師不足対策としての効果も指摘している。
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