【社説】 日本の子どもは先進国で最も孤独感が強く、中高生の2人に1人は自分を「駄目な人間」と思い込んでいる。そして毎日1・4人が死を選んでいる。 そんな状況を食い止め、生まれてきてよかったと思える社会に変えるきっかけになれば…。これが広島市が制定を目指す子ども条例の狙いだろう。 素案がまとまり、市民からの意見を求めている。この冬休み、親子で地域で読み込んでみたい。 子どもにも基本的人権がある。意見は尊重されねばならない。そうした考え方が素案の背骨になっている。 国連の「児童の権利に関する条約」に由来する。これまで子どもは「保護の対象」だった。それを「権利の主体」と考えようとするのがこの条約である。1989年に採択され、日本でも94年に発効している。 しかし国内で基本法が制定されるわけではなく、いじめや虐待などの問題の出口も見えない。そこで自治体が国に先行し、条例化に踏み切るケースが相次いでいる。政令市では2000年の川崎、08年の札幌、名古屋だ。 広島市の素案では、子どものために目指すべき四つの環境整備を挙げている。 安心して生きる。愛情をもって育てられる。学びや遊び、文化で豊かに育つ。自分にかかわる事柄に意見を言え、参加できる。 その実現のための施策を考え、予算を付けるのが市の責務としている。また他市の例を参考に、いじめなどの人権侵害に対し、相談だけでなく救済に動く第三者委員会の設立も盛り込んだ。やる気を感じさせる。 ただ妥協の産物という側面もある。例えば条例名から「権利」を外したことだ。市議会や校長会、一部の保護者から上がった「わがままを助長することになっては」との声。「権利を意識することでむしろ自制心が育つ」との見解に理解を得られなかったからだ。 条文の勘所を、先行市のように「権利の保障」とせず「環境の整備」とした点も、議会の審議を考えてのことに違いない。 曲折を経て生まれた素案だけに市民にも広く開示すべきだろう。ところが不思議なのは、市に知らせようとする意気込みが見えないことである。概要を広報紙に載せるだけで、説明会も8区のうち3区でしか開かれない。 今からでも遅くない。とりわけ当事者の子どもたちに伝える努力をしたい。素案にも「自らにかかわる情報が適切に入る権利」が入っている。学校などの場が活用できないか。 条例が成立しても、すぐには何も変わらないかもしれない。抽象的な規定が多く罰則もないからだ。しかしその理念がじわじわと浸透し、子どもを人として尊重する文化がはぐくまれれば、その瞳も輝いてくるはずである。 欠かせないのは、小さな声をきちんと受け止めようとする大人の誠実さだと思われる。 (2009.12.21)
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