「孫育てのとき」

Index

Next

Back

第1部 祖父母力

2.2人目の壁 −「もう1人」願い上京

職場の責任重い。半年も育休は無理


仕事続ける娘をサポート

 あわただしい年の瀬、時季外れの引っ越しトラックが広島市安佐北区の高陽ニュータウンから一路、東京に向かった。「共働きで子育て中の娘を助けたい」。岡田祐子さん(59)は還暦を前に、生まれ育った故郷広島を離れた。

    ◇

 長女の長谷川綾香さん(34)は都心にある会社のシステムエンジニア(SE)。一人で百二十台ものパソコンを管理している。二〇〇三年六月に長男の貴大(たかひろ)君(2)を産み、五カ月後には職場に戻った。その気なら最長三年間の育児休業を取れた。「IT(情報技術)の世界は日進月歩。長く休むと、SEとして通用しなくなってしまう」

 保育所に預けた息子は、インフルエンザに水ぼうそうなど次々と感染。保育所は決まりで三七・五度以上の熱が出ると、預けられない。「毎朝、祈る思いで熱を測って。三七・三度なら、登園させていた」

 無理がたたり、貴大君は咽頭(いんとう)炎で入院。綾香さんも十キロやせ、肺炎で起き上がれなくなった。IT関連会社を営む夫(44)は多忙を極め、看病も頼めない。娘のSOSに、岡田さんの片道六百七十キロの東京通いが始まった。

 日本の合計特殊出生率(女性が生涯に産む子どもの数)は〇四年、史上最低の一・二九人に落ち込んだ。一方で、夫婦が「理想的」と思う子どもの数は二・五六人(国民生活白書二〇〇五年版)。核家族で働く綾香さんたち女性にとって、二人目出産の前に立ちはだかる「壁」は厚い。

    ◇

 岡田さんの上京は二、三カ月に一度の割合で、二年余り続いた。当時、自宅近くで主宰していた珠算塾には約六十人の生徒がいた。市内のグループホームに入居中の実母(92)の見舞いにも通っていた。「愛する孫のため」の一念だったが、頑張りすぎで過呼吸症候群に陥った。

 〇四年十二月、定年を迎えた夫の〓(たけし)さん(61)と相談し、東京移住を決心。娘の自宅まで電車で一時間の都内のマンションに転居し、二十六年続けた珠算塾は畳んだ。心労を気遣い、高齢の母には転居を告げなかった。一カ月おきに帰郷し、見舞うつもりだ。そうまでして頑張る陰には、「二人目の孫の顔が見たい」との願いがある。

 綾香さんも新婚当初は「三人ぐらい子どもが欲しい」と思った。現実は「夫婦だけだと、子ども一人育てるのも大変」。首都圏は生活費がかさみ、夫も浮き沈みの激しいIT業界。家計の安定を考えれば、仕事をやめる気には到底なれない。

 自宅のあるさいたま市では、大半の公立保育所が生後半年過ぎない乳児は預かってくれない。「仕事の責任は年々重くなっている。二人目を産む場合は、半年も休めないし…」

    ◇

 綾香さんの勤め先にいる女性の同僚三十人は、大半が二十代後半から三十代。既に子どものいる女性は、わずか三人。二人目出産にこぎ着けたのは、都内に実家がある女性一人だけという。分厚い「壁」を乗り越えるには「祖父母の支えが欠かせない」と思える。

 「貴ちゃん! おしゃべり、上手になったねえ」。引っ越しの片付けもそこそこに、保育所のお迎えに駆け付けた岡田さん。おばあちゃんの抱っこに、貴大君は笑顔で大はしゃぎだ。「両親がそばに来てくれて、『壁』がちょっぴり低くなったかな」。綾香さんの表情が、少し緩んだ。(西村文)

【お断り】〓はにんべんに「豪」を書きますが、JISコードにないため表示できません。

2006.1.4