「孫育てのとき」

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第1部 祖父母力

1.里帰り出産 −娘の生き方支えたい

身近に仲間いない。今の母親は本当に孤独


「せめて実家の親だけでも」

 「目に入れても痛くないって、本当だなあ」。かすかに寝息を立てる、生後間もない二人目の孫から、元自衛官橋本金平さん(68)=廿日市市=の目が離れない。

 里帰り出産した二女、平石七美さん(34)=東京都調布市=は少々あきれ顔だ。「私たちには厳しかったのに、孫には大甘(おおあま)なんだから」。長女の依理ちゃん(3)が、橋本さんと妻玲子さん(65)にまとわりついて離れない。

    ◇

 依理ちゃんの甘えん坊には訳がある。広島市内の損害保険会社勤めだった七美さんは連日、帰宅が午後九時すぎ。保育所へのお迎え、夕飯の支度などすべて、玲子さんが母親代わりだった。

 母と娘―。依理ちゃんの育て方に当初、溝があった。主婦として転勤族の夫を支え、娘二人を育て上げた玲子さん。「小さいうちは、母親と十分に触れ合うべきだ」が信念だった。

 七美さんも最初は、保育所のお迎えに間に合うよう、仕事を早めに切り上げていた。だが不況下、相次ぐ人減らしで職場は多忙を極めた。「私一人、わがままは言えない」。帰宅は、日を追って遅くなっていった。

 「もっと早く帰宅できないの」。口うるさかった玲子さんも、仕事にかける娘の情熱や責任感に触れ、考えを変えた。「祖父母が愛情をたっぷり注げばいい」。依理ちゃんとの相思相愛ぶりは、その名残だ。

 七美さんは〇五年七月、転職した夫(30)の上京と第二子の妊娠を機に会社を辞めた。「お正月まで、実家でゆっくりしたら」と夫は勧めてくれたが、出産から一カ月後の十二月半ば、東京に戻った。「いつまでも親に甘えてはいられない。今度は、私が支える番だし」。視野の隅には、両親の介護がある。

 人生観や育児観の違いを乗り越え、親子が支え合う―。橋本さん一家のようなケースは残念ながら、少数派だろう。孫をめぐるボタンの掛け違いは、往々にして出産時に始まる。

    ◇

 陣痛室の扉を開け、看護師長の安井郁子さん(54)は驚いた。岡山市内の産院。ベッドに横たわる妊婦の手を握り、背中をさするのは、実母と義母。妊婦の夫は、長いすで眠りこけていた。「徹夜の付き添いで、息子は疲れているんです。私が代わりに…」。必死の義母に、「肝心な時に、父親が寝ていては」という苦言をのみ込んだ。

 「祖母の立ち会い出産は、お断り」。広島市安佐北区の真野産婦人科は五年前、方針を変えた。「娘が心配だから」と分娩(ぶんべん)室まで付き添い、べったり世話を焼く実母が増えた。「娘が甘えて、産む覚悟が決まらず、長引いて難産になりだしたので」と、院長の中原恭子さん(45)は打ち明ける。

 孫育てのストレスで更年期障害がひどくなり、受診に訪れる祖母も珍しくない。「里帰り出産後も実家に居残り、三カ月、四カ月と長引く母親もいる。実家依存というのか、なかなか離れられないみたい」

 国民生活白書(2005年版)によると、子育ての支援を頼る相手として、「自分の親」を挙げる女性が圧倒的に多い。パート・アルバイトで70%、正社員で75%、専業主婦では82%に上った。

 「今の母親たちは孤独なんですよ、本当に」。橋本家で取材中、玲子さんが思わず、つぶやいた。五年前から子育て支援グループ「みつばちばあやの会」を率い、育児経験を次世代につなげている。産後「うつ」状態になり、わが子が抱けなくなった母親たちを何人も見てきた。

 「私は一人で子育てを頑張ったけれど、当時は身近に仲間がたくさんいたもの。今はせめて、実家の親だけでも若い母親の心に寄り添ってあげてほしい」と願う。


 第二次ベビーブーム(一九七一〜七四)に生まれた「団塊ジュニア」が出産期に入った。晩婚、少子化のあおりで、わずかな孫に祖父母四人が群がり、でき愛ぶりを競う―そんな光景も広がりだした。定年に差しかかる二〇〇七年が近づき、団塊世代は家族と向き合うときを迎える。連載企画「孫育てのとき」では、孫への過干渉と放任、両極のはざまに揺れ、悩む祖父母の姿を見つめる。(西村文)

2006.1.1