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 國田 博史(中)  新世代の力「変革」導く


コソボでの取材中、子どもに囲まれる筆者(1999年)

くにた・ひろし

1968年愛媛県西条市生まれ。京都大卒業後、朝日新聞社で記者として九州や東京で10年間勤務した。NPOの取材を機に2003年ピースウィンズ・ジャパン入団。国内で活動基盤づくりを担当しながら、新潟県中越地震(04年)、パキスタン地震(05年)、スマトラ島沖地震(09年)などでは現場で支援にあたった。07年の尾道事務所開設に伴い、事務所長として赴任した。愛媛県西条市在住。

20歳ごろまでの私は、世界の紛争や貧困の問題に人並み以上の関心はなく、今の仕事につながる強烈な原体験もありませんでした。臨床心理士か教員を目指していた私が非政府組織(NGO)に入るまでには、いくつかの転機がありました。


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一つは大学卒業前、初めての海外旅行でベルリンの壁が崩れた直後の東欧を巡ったことです。自由な社会を求めて市民が血を流した「革命」の高揚を肌で感じる一方で、すさまじいインフレにあえぎ路頭に迷う人を見ました。史上最悪の虐殺の地、アウシュビッツを訪ねたのもこの時です。

困った人を助けたい、平和を守るために行動しよう、と熱く考えたわけではありません。心を占めたのは「歴史の現場に立った」という興奮と、多様な世界の歴史や文化に対する興味でした。高校教師の父とは別の道に進みたいという気持ちも働き、新聞記者になることを選びました。

次の大きな転機は、東京でNGOについて連載する企画を担当していた12年前。欧州のコソボで紛争が起き、多くの難民が出ました。私は日本のNGOによる支援活動を取材するために現地へ飛び、1カ月近く活動を見て回りました。

砲弾で崩れた橋や建物、焼け焦げた戦車、配給されたテントで雨露をしのぐ難民…。生々しい戦場の光景が胸に迫りましたが、それにも増して印象的だったのは、同年代の日本の若者が、国連や他国のNGOとも英語で対等に渡り合い、数百戸もの仮設住宅を建てる「事業」を、厳しい現場で形にしていくさっそうとした姿でした。


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それまでの取材で私は、国際協力に携わる人たちの真摯な情熱に敬意を抱きつつ、支援の効果やインパクトには物足りなさも感じていました。ただの自己満足じゃないか、と思ったこともありました。しかし、コソボで見た新世代のNGOの仕事ぶりは、鮮烈なまでにパワフルで組織的でした。「彼らの新しい力が、やがて社会を大きく変革するかもしれない」。そんな気がしたことを覚えています。

自分もその一翼を担いたいと転身し、8年が過ぎました。あのさっそうとした魅力が今の私たちにあるか、独り善がりになっていないか。日々の仕事の中で、時々そう自分に問いかけています。

 
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