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 國田 博史(上)  需要見極め被災地支援


支援物資のストーブをトラックから降ろす筆者(中)=3月18日、宮城県気仙沼市

くにた・ひろし

1968年愛媛県西条市生まれ。京都大卒業後、朝日新聞社で記者として九州や東京で10年間勤務した。NPOの取材を機に2003年ピースウィンズ・ジャパン入団。国内で活動基盤づくりを担当しながら、新潟県中越地震(04年)、パキスタン地震(05年)、スマトラ島沖地震(09年)などでは現場で支援にあたった。07年の尾道事務所開設に伴い、事務所長として赴任した。愛媛県西条市在住。

私が働いている非政府組織(NGO)ピースウィンズ・ジャパンは、戦争による難民や災害の被災者を世界各地で支援しています。イラクやアフガニスタンでは、治安が不安定な中、戦乱で荒廃した地域の復興に10年以上取り組んできました。最近のトルコ地震やタイの洪水にも対応しています。

その中でもことしは東日本大震災の被災者支援が最も大規模な活動になりました。


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私は3月13日に尾道をたち、被災地に向かいました。ガソリンなどを手に入れるため新潟を経由し、宮城県気仙沼市に着いたのは15日の真夜中。降りしきる雪の中でした。

翌日から救援物資を積んだトラックを先導し、気仙沼市や岩手県陸前高田市の避難所などを回りました。パンや果物に始まり、毛布、マスク、下着、ストーブと灯油……。届けた物資は3月だけで4トントラック30台分になりました。

避難所では衛星電話を無料開放し、安否の連絡に使ってもらいました。携帯がつながらず、被災後初めて肉親の声を聞いたという人も多く、喜び合う声を聞くと涙が出ました。その後も、仮設住宅に入る人への物資提供、子どもの支援、商店や漁業を再開する人のサポートなどを続けています。

どの現場でもそうですが、大切なのは、移り変わるニーズを的確に見極めることです。急場の衣食住の充足から、被災者自身が主役となる生活再建の手助けへ。目の前の状況に心を揺さぶられながらも、プロとしてなすべきことを冷静に考え、過不足なく真に役立つ支援を組み立てるよう心掛けています。


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しかし、今回起きた原発事故は、過去の経験が通用しない難題です。被災者自身が、見えない放射能に加えて東京電力や国にも翻弄され、自らの将来を選び取ることすらままなりません。複雑で理不尽な「人災」に対し何ができるのか、日々自問しています。

東北の支援では、16年前の阪神大震災の時と比べて、組織としてのNGOの存在感は確実に高まりました。それでも満足することなく、突きつけられる新しい課題に対処するための進化を、常に追い求めなければならないと感じています。

 
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