佐々木禎子さんのお話も最終回になりました。このコーナーのために彼女のことを調べ、生きた12年の悲喜こもごもを知りました。毎朝原爆の子の像の前を通るたび、彼女と、広島や世界で犠牲になった子どもたちのために祈りをささげています。
4月は1回休みですが、次回から新しい内容になります。広島から10代の女の子が米国にホームステイのために訪れたという設定です。英語を使った会話のやりとりを通して、広島と平和についての彼女の考えを伝えます。多くの投稿を楽しみにしています。もう春。お花見を楽しんでね。
米国イリノイ州出身。ニューヨークの大学と、サンフランシスコの大学院で演劇を勉強。大学院生のときに「ピースコール」というボランティアとして、ヨーロッパのチェコで英語の先生をした。広島市安佐北区在住。
子どもたちのために新しい記念碑を建設する募金運動はとても成功しました。お金は3000を超す日本の学校と数千人もの個人から寄せられました。ついに1958年5月5日のこどもの日、記念碑は平和記念公園で除幕されました。「原爆の子の像」として知られ、上には佐々木禎子の像が立っています。記念碑はいまや世界中で子どもたちの平和のシンボルとなっています。
英語翻訳の応募は、下のフォームから送れます。どしどしチャレンジしてね。
佐々木禎子の物語は今や世界中で知られています。彼女の生涯についての多くの本や映画があります。あらゆる場所の人々が折り鶴を広島に送っています。禎子の鶴は病院のベッドから遠くへと旅立ったようです。その折り鶴は世界中に希望と平和のメッセージを届けています。
※締め切りは4月18日(必着)です。
英訳のヒント