15号まで「英語に挑戦」に関心をもってくれてありがとう。1月から8月までこのコーナーではヒロシマでの原爆について取り上げてきました。難しかったと思いますが提出された訳のレベルは高く、がんばりに拍手を送ります。そして特に毎回送り続けてくれた人たち、あなたたちにスタンディングオベーションを送ります。
今回からは、佐々木禎子さんと原爆の子の像がテーマです。日本はもちろん、世界でもサダコはよく知られています。英語でこのお話しを説明できるようになれば将来きっと役に立つでしょう。
今月4日にワークショップを開きました。みなさんとやっとお会いできてうれしかったです。また開くことがあれば、みんな参加してね。
米国イリノイ州出身。ニューヨークの大学と、サンフランシスコの大学院で演劇を勉強。大学院生のときに「ピースコール」というボランティアとして、ヨーロッパのチェコで英語の先生をした。広島市安佐北区在住。
広島には原爆投下後、75年草木が生えないと言われました。しかしがれきの中からこの都市は立ち上がりました。そしてヒロシマは国際的なシンボルにもなりました。悲劇を乗り越え、平和への活動を促しています。ヒロシマの精神は世界を感化するのです。
英語翻訳の応募は、下のフォームから送れます。どしどしチャレンジしてね。
1945年、佐々木さん一家は5人家族で、2歳の禎子と、お兄さん、お父さん、お母さん、おばあさんがいました。でもお父さんは軍隊に行っており、家にはいませんでした。原爆が爆発したとき、家族は朝食を食べていました。家は完全に壊れましたが、全員が爆風から生き残りました。禎子のお母さんは裏庭の木箱に座っている彼女を見つけました。
※締め切りは9月12日(必着)です。
英訳のヒント