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ヒロシマを学ぼう

広島電鉄家政女学校  授業・乗務 労働力補う


黒焦げになった広電の路面電車(八丁堀付近、同盟通信の中田左都男記者撮影)

広島電鉄(広島市中区)では戦時中、男性運転手、車掌が徴兵される中、労働力確保のため1943年4月に家政女学校を開校しました。校舎と寮は、広島市皆実町(現南区、ゆめタウン広島北側の一角)にありました。

生徒は国民学校高等科の女子卒業生(14歳)が対象で、3年制。半日は授業、半日は勤務でした。しかし、終戦前は早朝から深夜まで運転手、車掌として勤務しました。

「あの日」、在籍していた約300人のうち、多くは乗務中か寮(爆心地から2・1キロ)にいました。29人と教師1人が犠牲になりました。

3日後に己斐−西天満町間で運転が再開された時も、軽傷の生徒が乗務しました。終戦で、男性の労働力を補う役割を終えて廃校になりました。被爆電車2台は、今も主に平日の朝、市内を走っています。



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