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8.6探検隊

(28)晴れていた広島になぜ「黒い雨」?

Q

晴れていたから広島に原子爆弾が投下されたと聞いたことがあるけど、なぜ「黒い雨」が降ったのですか。




A

原爆で発生 三つの雲原因

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黒い雨の展示の前で、雨の記憶を話すピースボランティアの大林芳典さん(原爆資料館)

1945年8月6日の朝、広島市は晴れていたと、本や映画で見たことがあるね。広島管区気象台(当時)の職員が調査に加わり、53年に発表された「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告」には、当時の気象を「睛天無風(せいてんむふう)に近い靜穩(せいおん)」と書いてある。

「シャツ黒く」

広島市佐伯区湯来町の隅川清子さん(73)は同町の実家で黒色の雨を見た。「小指の先くらいの雨粒が落ちてきて、白いシャツが黒くなった。勢いが激しく、30センチほどの高さまで跳ね返っていた。広島市内の状況を知らなかったので、『何が起きたのだろう』という思いで頭がいっぱいだった」と不安だった心中を語る。

そもそも、雨はどうやって降るのだろう。広島市江波山気象館の脇阪伯史学芸員によると、上昇気流にのった空気中の水蒸気が温度が低い上空で冷え、空気中のほこりなどとくっついて氷の粒や水滴になる。上昇気流が続くと、水蒸気がどんどん加わり、水滴がくっつき合って大きくなる。大きくなるうちに重くなって、落ちてくるんだ。

では、あの日なぜ雨が降ったのだろう。

旧厚生省の委託を受けた「黒い雨」研究班などに参加した、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の星正治教授(放射線生物・物理学)は、「原爆によって発生した三つの雲が雨を降らせた」と説明する。

最初にできたのは、爆発の衝撃で舞い上がった土やほこりなどが、火球と地表の間の空気が暖まってできた上昇気流にのって約4000メートルまで上昇してできた雲だ。きのこ雲の柱部分だね。次にできたのは、きのこ雲の「かさ」の部分。火球が上昇し、上空で膨張するうちに温度と気圧が下がり、空気中の水蒸気が水滴となったものだ。

三つ目の雲は、熱線で発生した大火災が原因だ。熱気に伴う上昇気流で、水蒸気とすすなどが約800メートル上空で雲になった。この火災による雨は、原爆でなくても降った雨なんだ。空襲問題に詳しい小山仁示関西大名誉教授の「改訂 大阪大空襲」には「大空襲があると、必ずといってよいほど、黒い雨が降った」と記述がある。

国が特例区域

星教授は「三つの雨はどれも放射能を含んでいた。『黒い雨』というが実際には黒色のほかに、茶色や無色の雨も降ったと思われる」と話す。

国は、76年に「黒い雨降雨地域」のうち、大雨地域と言われる部分を、国費で健康診断が受けられる特例区域とした。しかし大雨地域から外れた地区にいた人たちから「自分たちの地域でも大雨が降った」などの声が上がり、同年、広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会が設立された。今も特例区域拡大を求めている。

市は本年度、45年当時から現在まで市内に暮らしている3万人を対象に、「黒い雨」に打たれた体験の心理的影響などを調査する。結果を基に国へ援護策の充実を働きかける方針だ。(村島健輔)