広島と長崎の原爆投下が、戦争を早く終わらせたために多くの命を救ったという説だね。今年7月にも、米国のロバート・ジョゼフ核不拡散問題担当特使が記者会見で「文字通り何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせたということに、ほとんどの歴史家は同意すると思う」と話し、日本国民の怒りを買った。
調べてみると、これまでも米国では大統領をはじめ何人もが原爆投下は正しかったんだということを主張するためにいろんな数字を挙げていることが分かった。いったい何を根拠にそんな数字が出るのだろうか。
広島市立大広島平和研究所の浅井基文所長に聞くと「根拠は全然ない。原爆正当化のためのいわゆる『百万人神話』です」と教えてくれた。
その説明を要約すると―。原爆投下後、米国内に原爆は必要なかったんじゃないかという非難があった。そんな中、米政府の戦略爆撃調査団が「原爆が投下されなかったとしても日本は降伏しただろう」と報告を出したんだ。
その結論に米国政府関係者はあわて、当時米国民に「米国の良心」として知られていた元陸軍長官ヘンリー・スチムソンに文章を書くことを頼んだ。彼は渋りながらも「日本上陸作戦などを行えば、米軍だけでも百万人以上の死傷者が出ると知らされていた」と雑誌に書いたんだ。それが「神話」の始まりだ。
トルーマン元大統領も回顧録などで「もし原爆を投下しなかったら」の死者数を挙げているが「50万の米国民」とか「連合国軍将兵25万人、日本人25万人」などと数が変わっている。浅井所長はこの変化をみても「正当化するために作られた数字だということがにじみ出ている」と指摘する。
原爆投下前には、違う数字だった。戦争が長引き、九州上陸作戦をしたとすると、30日で3万1000人の米兵が死傷するだろうとの報告が陸軍元帥(げんすい)から大統領に寄せられている。米国の歴史家もこの数字をよく引用するという。投下前と後で数字が何十倍にもなっているはおかしいよね。
原爆を落とした側の米国には、原爆投下は正しかったという声が根強くある。昨年から今年にかけ、被爆体験や日本文化を伝えるため、米国の学校など220カ所以上を回った吉清由美子さん(28)=広島市安芸区=は「子どもの間にも原爆のおかげで、犠牲が食い止められたという考えが浸透していた」と話す。
取材を通して、数字が独り歩きしていることへの疑問を強く感じた。100万人の命のためなら原爆を使ってもよいのか。数万人ならだめなのか。数の問題ではなく、一瞬のうちに多くの市民を殺害し、戦争が終わった後も被爆者の体と心に不安を与える原爆投下そのものが否定されるべきだ、と私は思う。(森岡恭子)
【主な推定死者数・死傷者数】 | ||||
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日付 | 米国の発言者 (肩書は当時) | 媒体 | 推定死者数 | 推定死傷者数 |
1945年 6月18日 | ジョージ・マーシャル 陸軍元帥 | ホワイトハウスでの会議 | − | 「九州上陸作戦の最初の30日間の損害は、ルソン島攻略作戦(注・米兵死傷者3万1000人)を超えることはないだろう」 |
1947年 | 元陸軍長官 ヘンリー・スチムソン | 「ハーバーズ・マガジン」 (1947年2月号) | − | 「日本上陸作戦などを行えば、米軍だけでも100万人以上の死傷者が出ると知らされていた」 |
1955年 | トルーマン元大統領 | 「トルーマン回顧録1」 (1966年、恒文社) | 「マーシャル将軍は、敵本土に上陸して屈服させれば、50万の米国民の生命を犠牲にすると語った」 | − |
1958年 3月14日 | トルーマン元大統領 | 米国での記者会見(1958年3月15日付、中国新聞) | 「連合国軍将兵25万人および日本人25万人が完全な破壊」 | − |
2007年 7月3日 | ロバート・ジョセフ 核不拡散問題 担当特使 | 米国での記者会見(2007年7月5日付、中国新聞) | 「文字通り何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせたということに、ほとんどの歴史家は同意すると思う」 | − |
原爆は100万人の米兵の命を救うために投下され、実際に救ったとする主張について、それを否定する米国の歴史学者たちがこう呼び始めた。「五十万人神話」とも呼ばれる。