前回、原爆死没者数について、なぜ、はっきりした数が分からないのだろうと、いろいろな数字を紹介したね。
「宿題」だった、市の推計「約14万人(誤差プラスマイナス1万人)」の根拠について、市国際平和推進部平和推進担当の手島信行課長から回答があった。結局、どういう数が重なったのかは市の資料では分からないらしい。「専門家による委員会に資料作成を任せた」からだという。
ただヒントはくれた。
1976年12月10日、13日付の中国新聞だ。市の発表から約2カ月後、推計に携わった故湯崎稔広島大教授(当時同大原爆放射能医学研究所助教授)が2回にわたり寄稿している。
44年2月の広島市の人口を参考にした推計と、被爆後約3カ月がたった45年11月の広島市と周辺町村の人口を比較し、軍の被害報告資料や県外からの来広者、朝鮮人被爆死亡者などを考慮した、と一定の根拠を説明している。被爆30年を経て犠牲者数が明らかでないことについては、国家的な調査が放置されてきたと指摘する。
身元不明の遺骨や、名前が判明していても引き取り手がいない遺骨など約7万柱が納骨されている原爆供養塔(平和記念公園) |
でもなぜ誤差が2万人も出るのだろう。広島市や周辺の人は戸籍と照合し、軍人は遺族に対する給付金の申請などの数を基に差を小さくすることはできないのか―。
「広島原爆戦災誌」第3巻を読むと、戸籍簿は疎開させ、焼失を免れたとある。誤差があるのは、原爆で文書が焼けたり、戦後の混乱で書類が無くなったという理由ではなかった。なら、戸籍とその人が原爆で亡くなったかを一人ずつ当たっていけば、実際の犠牲者数に近づけるよね。
ところが、市などはそれをしていない。それどころか、家族全員が原爆で死亡し、死亡届を出されることがなかった人も含まれるとみられる戸籍を抹消し、その数を記録していない。市内で最近抹消されたのは2003年度の166人。以前の数字について、企画総務局総務課の大東和政仁課長は「抹消した戸籍数が合計で、数百か数万か分からない」という。
軍人や軍属の死没者については、個人の軍歴の書かれた兵籍簿や公務中に死没した軍人・軍属を記録した戦没者名簿があるものの、個人情報保護のため、見られる人は限定されている。また、それを見ても被爆者かどうかは分からないと広島県はいう。
うーん、壁は高い。
「約14万人」の調査の一部を担当した宇吹暁広島女学院大教授は「調査方法には、さまざまな議論があったが、いまだにいい方法が見つかっていないのが現実」と残念そうだ。
市の公式見解はあくまで「約14万人(誤差プラスマイナス1万人)」。前回出てきた、45年12月末までに亡くなった人のうち名前が分かっている約8万9000人との差が4万人以上あることについては「14万人に近づくよう、一人一人数を積み上げていきたい」と、繰り返すだけだ。
(森岡恭子)