昼夜の緊張 募る疲労感 訴訟リスクも心理的な重圧
二〇〇六年一月三日午後七時ごろ。広島市の自宅でソファから起き上がろうとしたが、左半身が動かない。頭から血の気が引き、医師として脳の異変を直感した。意識が遠のく中、何とか家族を呼んだ。救急車で運ばれ、そのまま入院。脳内出血だった。
中区にある総合病院の男性産婦人科医師(46)。年末から当直勤務で病院に泊まり込み、正月の一日未明まで分娩(ぶんべん)を扱っていた。翌二日は休日だったものの、「どうか緊急に呼び出さないで」と携帯電話の着信音を恐れながら、ひたすら睡眠をとるだけ。その翌日、病変は起きた。
▽超過勤務 月110時間
医師は勤務状況を記録していた。病変直前の〇五年十二月―。一カ月間の時間外勤務は計百十時間三十分に及んでいた。これに加え、緊急時に昼夜を問わず病院に駆け付けなければならない「産直」と呼ばれる自宅拘束が、十日分あった。
「最低限の安全を確保するだけで手いっぱいだった」。自身の体調を気遣う余裕はないまま、「トリガー(銃の引き金)が引かれてしまった」。車いす生活から自分で歩けるようになったものの、左手は自由に動かせない。おなかを切開せずに約十ミリの穴から腫瘍(しゅよう)などを摘出する腹腔(ふくくう)鏡下手術では広島県内屈指の技術を持つが、もう鉗子(かんし)を握る場面はない。
命を削るほどの激務の背景には、深刻な産科医不足がある。〇四年の中国地方の医師数は七百十七人。六年前に比べ、一割近い七十二人減った。
この男性医師の勤務先では、産婦人科医師三人で年間五百件程度の分娩を支えていた。婦人科系の手術も四百件程度ある。毎月、産直と宿直が計十日前後回ってくる。産直の日は「起こされずに眠れることはまずない」。入院患者の急変処置、処方の問い合わせにも応じる。産直当番が休日に当たれば、休みはつぶれる。代休も手当もない。医師は過重労働を訴え、労災認定を申請中だ。
総合病院の勤務医を経て、岡山市内で開業する男性院長(55)は言う。「一年三百六十五日、一日二十四時間、気が休まる日はなかった」。深夜、車で帰宅中に赤信号で眠り込んでしまったり、発熱でふらふらなのに自ら座薬を入れて手術に臨んだりした日もあった。「精神的にもたない」。開業した医院では、分娩を扱うのをやめた。
バーンアウト。つらい仕事と猛烈なストレスで心身ともに疲れ果て、エネルギーが燃え尽きてしまう状況を指す。「バーンアウトするなよ」。人員不足に直面する病院の産婦人科医師たちは、合言葉のようにささやき合う。
▽「無事当然」根強く
もう一つ、心をすり減らす要因がある。お産の現場は、訴訟のリスクに常にさらされているということだ。最高裁によると、〇五年の医療訴訟のうち、産婦人科は百十九件と内科、外科に次いで三番目に多かった。福島県立大野病院で〇四年に帝王切開手術を受けた女性が死亡し、産婦人科医師が業務上過失致死と医師法違反の罪で起訴された「事件」も、産科医療の現場に心理的なプレッシャーとして影を落とす。
「生まれて五秒後に赤ちゃんが泣かなかったら、汗が噴き出す」。脳内出血した医師は、分娩を終えるまでの重圧をそう語る。一方、妊婦の側には「無事に生まれて当たり前」の意識が強く、必要な処置をしても、「納得できない」と怒鳴る人もいる。訴訟リスクを抱えつつ、最善を尽くした努力を分かってもらえない、もどかしさと疲労感が募る。
「寝不足で疲労のたまったパイロットが操縦する飛行機に乗りたいですか。同じ状況の医師に、お産を任せたいですか」。まひした左手をさすりながら医師はそう投げ掛けた。
■ 分娩施設 12年で28%減 ■
日本産科婦人科学会調査 業務や待遇「根本改革を」
日本産科婦人科学会によると、全国の分娩(ぶんべん)施設や産婦人科医師は減少し続けている。
二〇〇五年の分娩施設数は、病院と診療所を合わせて三千五十六カ所。一九九三年時点の四千二百八十六カ所に比べ、十二年間で28・6%、千二百三十カ所減った。
また、同学会の検討委員会の調査によると、全国百十の大学病院と、そこから医師を派遣している関連病院の常勤の産婦人科医師は、〇五年七月現在で四千七百三十九人。〇三年四月の五千百五十一人に対し、8・0%減少した。中国四国地方の減少率は5・6%(三十四人減)だった。
検討委は、全体の医師数が増える中、産婦人科医師が減少していることについて「当直が多く、勤務時間も長いのに、待遇は他科と変わらない。臨床研修制度で大変さを見て、志願者が減っている。根本的な改革が必要だ」としている。
学会も「産婦人科離れ」の原因として、医師の労働量の増加、訴訟になるかもしれないとのプレッシャーの増大、低水準の給与などを挙げている。
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