負の連鎖
午前八時半。広島市内のある小学校で、朝の読書会が始まった。担任教諭は児童の出欠確認に追われる。連絡がないのに姿が見えない子がいるからだ。自宅に電話をするとまだ寝ていた。ここでは数人の遅刻は普通である。 この小学校の児童の半数が、給食費などの就学援助を受ける。そして遅刻の常習は、家庭の経済的な事情と無縁ではない。校長は「生活苦で、収入を少しでも増やすため、夜に働く保護者が増えてきた」と話す。子どもも親と同じ生活リズムになり、早起きができないのだ。 学校生活に影響 保護者に子どもをしつける余裕がなくなり、宿題や教材の準備を忘れやすくなる。登校しても授業が面白くなく、騒ぎ始める…。「低収入がきっかけで家庭の生活基盤が危うくなると、結果、教育に大きく影響してくる」と校長。「子どもに罪はないのだが…」と繰り返しながら、危機感を募らせた。 生活に窮した親は、時に虐待にも及ぶ。広島県内の二十代男性も心身に傷を負った。 中学生のころ、父の仕事が減った。家にいることが多くなった父はいらいらすると殴り、怒鳴った。男性は親と別れ、児童養護施設で思春期を過ごしたが、成人した今も心を病む。生活保護を受け治療に専念するも、自立のめどは立たない。 広島県の調べでは、二〇〇七年度に虐待を受けた子どもが児童養護施設に入所したのは三十二件。うち一件を除けば、残りは所得税が非課税の低所得世帯。生活苦と虐待の相関は、専門家の間で今や周知の事実である。 「これまで私自身、子どもと貧困の問題を結びつけるのに抵抗があり、学会も避けてきた。しかしもう放置できる状況にはない」 そう訴えたのは、札幌学院大の松本伊智朗教授(社会福祉論)だ。十二月中旬、広島市であった日本子ども虐待防止学会の学術集会。その分科会で、「虐待と貧困」の関係が初めて取り上げられた。 研究者や児童相談所、保健所などの専門家ら百八十人が参加。「虐待する親も学力や生活体験に乏しい。貧困が再生産されている」「家庭の生活状況を把握し、人間らしく生きるのを支えていく視点が必要」「お金の支援だけでは不十分。親の精神的なサポートも不可欠だ」。切迫した現実を前に、議論は熱を帯びた。 未来をむしばむ 貧困が日常化し、ごく普通の暮らしを保障できない「現代」は、低学力や意欲の減退、社会からの孤立といった形で、子どもたちをむしばむ。「子どもの貧困」の共著がある松本教授は語気を強める。「貧困は単に経済面だけの話ではない。子どもから未来や可能性を奪ってしまうから問題なのだ」(岩崎秀史) (2008.12.26)
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