3.振り子
−死刑…揺れ続ける遺族−
「さようなら」「気をつけて」。一昨年十一月に殺害された木下あいりちゃん=当時(7)=が通った広島市安芸区の矢野西小。下校時に通学路では児童が住民と元気にあいさつを交わす。事件後は毎日、通学路に立ってきた地元町内会の畠山英治会長(73)は事件を振り返り、「純粋でかわいい子どもを…。死刑以外にない」と語気を強める。
▽容認派が80%台
死刑容認派が初の80%台―。一昨年二月に内閣府が発表した世論調査の結果である。さらに最高裁などによると、全国の裁判所で昨年に死刑を言い渡された被告は四十四人に上る。統計のある一九八〇年以降で最多だった。背景には、凶悪犯罪の続発や遺族感情を重視する厳罰化の傾向があるとみられている。
「遺族らの怒りや憎しみは理解できる。だからといって、制度として人の命を奪うことが許されるのか」。人権団体アムネスティ・インターナショナル日本(東京)の寺中誠事務局長(46)は、死刑容認の社会の風潮に首をひねる。「犯罪の抑止効果には証拠がない。それに遺族感情と一口に言うが、誰もが死刑を望むわけではない」
愛知県春日井市の団体職員原田正治さん(59)は八三年、三十歳だった弟を亡くした。当初は交通事故死とされたが、後に保険金殺人と判明。県警は弟の雇用主の男を逮捕し、男は死刑判決を受けた。執行は二〇〇一年だった。
「極刑以外考えられない」―。一審公判で証言台に立った原田さんは訴えた。が、事件から十年後の九三年「行き場のない怒りや憎しみをぶつけたい」との思いから元死刑囚と面会。その後も面会を重ね、相手の謝罪や後悔の念を感じた。死刑を望まない気持ちも芽生えた。
今も憎しみが消えたわけではない。それでも原田さんは「一生かけて反省し、謝罪させることが償いになる。殺しても被害者は救われない」と思う。「被害者には謝罪の言葉を聞く権利もあるはず。死刑はその権利をも奪ってしまう」
広島市中区の真宗大谷派「円光寺」の谷川修真住職(51)は、光市母子殺害事件の被告(25)=事件当時(18)=との面会を続ける。初めて会ったのは昨年三月。「どんなふてぶてしい人間だろう、と気が進まなかった。でも実際に会うとイメージとは違った」と振り返る。
▽反省する姿勢も
被告は、遺族の本村洋さん(30)と生前の妻子が一緒に収まった写真を見て「自分があの笑顔を奪ったんだなあ」と話したという。「罪に向き合う姿勢が見える。反省の気持ちも偽りではないと思うんです」。谷川住職は必ずしも死刑が妥当とは考えられない。
それに対し、凶悪事件を目の当たりにした地域の住民の多くは「犯人は社会に出たら同じような事件をまた起こすに違いない」と厳刑を求める。本村さんのように「反省しても死をもってしか償うすべはない」と訴え続ける遺族も多い。悲劇に直面した遺族、地域住民の心の傷や不安は、とてつもなく深い。
死刑は国家が人命を奪う究極の刑罰だ。容認か、反対かの議論は長年続いてきた。地域の安心・安全が揺らぐ今だからこそ、国、司法はあらためて制度をめぐる議論に正面から向き合い、一定の指針を示す必要がある。(久保田剛、松本恭治)
光市母子殺害事件 1999年4月14日、光市のアパートの会社員本村洋さん(30)方で、妻=当時(23)=と長女=同(11カ月)=が殺害されているのが見つかった。山口県警は4日後、当時18歳の男性被告を殺人容疑で逮捕。検察側の死刑求刑に対し一、二審とも無期懲役としたが、最高裁は昨年6月、二審判決を破棄、審理を広島高裁に差し戻した。差し戻し審初公判は5月24日に開かれる予定。
2007.1.30